使えない上司・使えない部下

2017年10月26日

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 今回は、前回に引き続き、プロレスラー、ザ・グレート・カブキさん(本名・米良明久)を紹介する。

 1964年、日本プロレスに入団し、70年からアメリカに遠征し、各地で活躍。73年に全日本プロレスに移る。81年、ザ・グレート・カブキとして大ブレイクし、全米で暴れまわる。顔にペインディングをして、毒霧を吐く姿が話題となる。日本では、技で魅了するレスラーとして全日、SWS、WAR、新日本などのマットに上がる。

 98年に引退後は、居酒屋「BIG DADDY 酒場 かぶき うぃず ふぁみりぃ」を営む。現在も試合に参加することがある。2014年には、著書『"東洋の神秘" ザ・グレート・カブキ自伝』(辰巳出版)を著し、静かな話題を呼んだ。

ザ・グレート・カブキさん

上に立つ人は下にいる人のよさや持ち味を見つけ、引き出してあげないとね

 俺は1970~80年代、アメリカと日本のマットを往復していた。全日のマットに上がるときは、余計なことをして馬場さんを刺激しないようにしていた。馬場夫人もいるから…(苦笑)。

 1976年の頃、アメリカに戻ろうとして、馬場さんにお願いをした。なかなか、イエスとは言わない。すると、馬場夫人が言うんだ。「高千穂さん(当時のカブキさんのリングネーム)がいなくなったら、誰が(全日で)練習を教えるんですか?」。

 ひきとめてくれたんだろうけど、「おい、おい、俺は、トレーナーかよ…」と思ったよ…(苦笑)。俺のことを認めてくれるのはありがたいんだけどね。ただ、レスラーとしての居場所がないように思えた。

 アメリカでは、たくさんの選手と闘った。1972年に、(タイガー・ジェット)シンとも対戦した。まだ、この頃はしょっぱかった。いい選手には思えなかった。観客をヒートさせる術を心得ていないんだ。その後、彼は新日本で人気を得る。猪木さんの扱いがうまかったんじゃないかな。猪木さんは、とんでもない発想力がある。上手くいくときはすごいよね。

 あの頃(1970~80年代)、藤波(辰巳)や長州(力)などをメジャーにさせた。長州のサソリ(固め)は、持ち味を引き出しているよね。当時の猪木さんは選手をメジャーにしていく力があったんじゃないかな。特に日本人選手は…。全日は、同じ時期、(伸びていく選手も)どこかで頭打ちになってしまっているような気がした。

 新日は、外国人選手をつぶすことはあったかもしれない。だけど、シンは成功した。(ハルク)ホーガン、アンドレ(ザ・ジャイアント)、(デイック)マードック、(ダイナマイト)キッドなどは活躍したね。キッドの持ち味は、ものすごく上手く引き出したんじゃないか。

 上に立つ人は下にいる人のよさや持ち味を見つけ、引き出してあげないとね。そうしないと、成長はしないし、活躍はできない。会社もみんなの選手もうるおわない。

 俺自身はあの頃、新日のリングに上がりたいとは思わなかった。馬場さんには義理というか、筋を通して接していきたかった。芳の里さんの勧めで、全日に入ったこともあるから。

 (全日本で、馬場さんに次ぐレスラーになっていた)ジャンボに俺が嫉妬したのかって? それはないよ。俺は、上を取ろうとは思わなかったから。日本プロレスに入門したときから、技や技術を磨いて、自分の役割をきちんとこなすことができるレスラーになるつもりだった。

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