東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年12月28日

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浜野保樹 (はまの・やすき)

東京大学大学院新領域創成科学研究科教授

1951年生まれ。工学博士。コンテンツ産業や制作に関する研究開発に従事する。主な著書に『大系 黒澤明』(講談社)『偽りの民主主義』(角川書店)『表現のビジネス』(東京大学出版会)などがある。(財)黒澤明文化振興財団理事、文化庁メディア芸術祭運営委員ほか。

 じゃあハリウッドの成功したスタジオはと考えたら、これは必ず当たるという作品、僕らフランチャイズと呼ぶんですが、そういうものを何本か年に持っていて、その余禄を才能発掘に賭けていくっていう仕事の仕方をしてますよね。

 1個、路線を確立してそれをブランドにし、それがあってこそ冒険もできる、とも言える。
だから確かにシリーズ化できるものをつくりたいし、テレビの連ドラを映画にして当てることを、毎年1本はやりたい、そして人を育てたいと思いました。

 そういう3つの柱を持てたらスタジオとして形を成すんじゃないか、って。

 自分なりにそういうビジネスプランを考えたうえで最初に手をつけたのが「THE MOVIE2」だったので、だから印象が強い、それだけ。映画に対する意識も大きく変わりました。成功させないといけない立場になりましたし。

’83「南極物語」でパブリシティの成功を体感

フジテレビが初めて製作した映画「南極物語」。感動の物語もさりながら、主役の樺太犬・タロ、ジロを前面に押し出したパブリシティの成功でも有名。
発売元:フジテレビ/学研 販売元:ポニーキャニオン
価格(税込):¥5,040
©フジテレビ/学研/蔵原プロ

浜野 亀山さんが映画づくりに関わってくる前から、実は邦画実写の興行収入記録をもってたのはフジテレビだった。配給収入で59億円稼いで当時の記録を書き換えたのはフジテレビ製作としては初の映画だった「南極物語」(1983)だったし。

 これ1983年の映画なんですけど、その後何度もテレビで放送されてるんです。その頃テレビ局が考える映画って、野球放送が雨やなんかで流れたときの補欠穴埋めが主たる用途だったと聞いたことがあるんだけど、ホントの話ですか。

 つまりそれまで穴埋めには洋画を流してたんだけど、放送権買うのに高いカネをアメリカに払うくらいなら、そのカネ使って自分で映画つくれるじゃないかと皆さん思ったという。

亀山 そのとおりですね。たまたま「南極物語」のとき、「スターウォーズ」(1977年)の放送権が売りに出て各局争奪戦になったんですよ。確か日本テレビさんが落札した。当時のカネで寅さんの興収2本分くらいでしたよ、落札価格は。

 ちょうどそのとき「南極物語」がアイデアとして出てたらしいんですね。ウチにも洋画を買うための予算があったわけで、そのうち少し使えばできる映画であった、と。

 でやってみたら、劇場で当たって、今度はテレビで流したときにも視聴率が取れるし、放送権は自分のものとして永久的だ、と。

 これをひとつのモデルとして知っていたってことがありました。

 余勢をかって「子猫物語」(1986年)、そうしたらまた「南極」より少ないけれどその年の配収最高の54億円を稼いだ、という流れになっていくんです。

浜野 亀山さんがフジに入ったころじゃない?

亀山 80年入社で「南極」が83年ですから。

 あれ、第1次南極越冬隊の有名な話なんですね。やむなく残して帰った樺太犬のタロ、ジロが生き抜いて、2次越冬隊と再開するっていう。

 僕は映画の宣伝担当になって、タロ、ジロを連れて回りました。動物タレントのマネジャー。しまいには、あの犬たち大人気になっちゃったんで、その年紅白歌合戦まで出た。

 いちばん覚えてるのが、初日ですよ。主役の高倉健さんをはじめ、舞台挨拶をやっていただきましたけど、お客さんの目の前にまでは出てきませんよね、もちろん。

 でもタロ、ジロの2匹の樺太犬だったら出ていける。だから真夏の暑いとき、今もうなくなりましたけど日比谷映画の入り口で。そこに氷敷き詰めてもらって、タロ、ジロに映画ポスターと同じ格好させておく。その係が僕です。

 映画が始まる前、お客さんはでかい犬だから横目でちらっと見るだけなんですよ。びっくりしたのは、映画見終ったら、ともかく触る触る。写真撮りたがる。横目でちらっと見るだけだった犬が、大スターなわけです。映画の力ってこういうもんなんだ、と。

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