2024年7月18日(木)

Wedge REPORT

2011年1月21日

 もっとも、液晶テレビの爆発的普及でアクリル樹脂需要が急増したことなどで三菱レイヨンの収益が急上昇したという特殊要素があった。小林が「運がよかった。赤字になっても仕方ないと思っていた」と言うように、新事業が金を生むには時間がかかる、石化の改革で日銭を失うことになると、覚悟してのチャレンジであったことは間違いない。業界全体を見渡しても、これほどの改革を断行した企業はない。そこには、ビジョンの欠如とあわせて、「このままではまずい」と言いながら腰の上がらない行動力の欠如もある。

 「それまでのわが社は、チャレンジングな感じがなかったね。元気がなかった。それを直すのに、いまだに僕はエネルギーを使っている」

 三菱グループは、伝統ある組織体だが、保守的な側面も指摘される。三菱ケミカルも例外ではなく、小林がリスクをとろうした時、従業員3万人超の社内は守りに入っていた。歩みの遅い巨艦を、小林はどう変えたのか。

形を“でっちあげろ”

 「新分野に経営資源を集中投下(中計では、1兆円の投資のうち5500億円が新規投資)して、危ないぞと追い込んで命がけでやらせないと、うまくいきません。研究所って、すぐ居眠りをするんですよ。研究レベルで『8合目まで来た』と言うのではなく、ビジネスの形を早くでっちあげろと、マネージャーを追い込んでいます」

 「やってます」「頑張ってます」という言葉はいらない。研究が8合目なら、足りないものは調達していいから、こういう形で稼ぐと、まず宣言させる。例えば、有機太陽電池は研究開発途上で、量産による市場本格投入は15年の予定だが、既存の薄膜太陽電池を他社から調達し、独自商材(建材一体型太陽電池など)に加工・販売することで市場開拓に既に乗り出している。アウトプットのイメージがないまま「ここまで進みました」と言うのは、内向き志向にすぎないと切り捨てる。

今年は米国、日本でも発売予定のLED電球

 それは、子会社の社長時代に自身が実践したことでもある。01年に光ディスクの販社から事業会社になった三菱化学メディアの社長に就任した小林は、安値攻勢にさらされる記録型DVD事業の立て直しに挑んだ。光ディスクでは情報を記憶させる素子となる色素が重要な素材で、門外不出だった。小林は「秘伝のタレ」と自身が呼ぶこの色素を外販し、ディスクの製造を外部に生産委託して販売は自社ブランド「バーベイタム」で行うビジネスモデルを構築、事業存続の条件の「1年で黒字化」を達成した(昨年、光ディスクと同じビジネスモデルで白色LED電球を欧州で販売開始)。

 「『メーカーがモノを作らなくてどうするんだ』と言われたけれど、わかってないヤツの話を聞いてもしかたない。製品サイクルの速い時代は、儲ける絵が描けるかどうかだ」

 ビジョンなきまま前例にこだわるのはノスタルジーにすぎず、それが最も危険なことだと小林は指摘する。ビジネスになる絵を「でっちあげ」て、実行してきた自信が、小林にはある。

 加えて、小林の人間力も組織を変えるのに大きな影響を及ぼした。

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