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2018年5月4日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 我が国を取り巻く緊迫する国際情勢をよそに、モリ・カケ、財務省公文書改竄、防衛省におけるPKO日報の処理、はては財務事務次官のセクハラ疑惑など問題山積だが、問題の根元の1つに、やはり「忖度」の2文字が浮かび上がってくる。

 「忖度」は、たとえば究極の漢和辞典であろう『大漢和辞典(全13巻)』(諸橋徹次 大修館書店 唱和51年)では「おもひはかる。おしはかる。人の意中を推量する」と、『広辞林』(三省堂編集所編 1981年)では「他人の心中をおしはかること。推測。推察」と解されている。両辞典に拠る限り「忖度」はむしろ“おもてなし”に通じ、国会やらメディアにおいて反安倍勢力が問題にしているような権力への“諂い”のニュアンスは感じられそうにない。

 そこで考えるべきは「推量」される側がどのような「人」なのかという点であり、「人の意中を推量する」側が「推量する」ことで実利(見返り?)を期待したのか、だろう。そこで以下の2例で、誰がなぜ、なんのために「誰の意中を推量」したのかを「推量」してみたい。

「京劇」は洗脳の道具である

 毛沢東が提唱して以来、共産党の文芸政策が娯楽=教育=宣伝の原則から逸脱することはないし、その中核が芝居、ことに「中華文芸の精華」であり「国劇」と讃えられる京劇であるということは、現在でも不変だろう。ここでいう宣伝とは、まさに思想教育そのものである。有態にいうなら洗脳である。

iStock.com/OceanFishing

 最近話題の京劇はといえば、やはり清朝を隆盛に導いた4代皇帝の康熙帝(在位は1661年~1722年)を半世紀ほどに亘って輔佐した陳廷敬を主人公とする新編歴史劇『陳廷敬』で、清廉・公平・潔癖で断固として不正を許さない彼の清官ぶりが大きく取り上げられている。伝統京劇では清廉で廉直な役人を主人公にした演目を特に「清官戯」と呼ぶが、さながら『陳廷敬』は新作清官戯といっても過言ではない。

 中国では古くから役人――現代風には幹部――はその振る舞いから「貪官汚吏」で形容されるように、庶民に対しては権力を笠に着て悪逆非道を繰り返すものと相場が決まっていた。そこで「官逼民反(役人が酷い仕打ちをするから、人民は反乱に決起する)」という言葉が生まれ、それゆえに「造反有理(叛旗を翻すことには道理がある)」となるわけだ。これを裏返すなら大部分の役人は「貪官汚吏」であり、正義を体現し庶民のために政道を貫くような「清官」は極めて僅かだったということだろう。

 そこで庶民は舞台という絵空事の世界でしか接することのできない「清官」に感激し、浮世の憂さを晴らし溜飲を下げていたというわけだ。芝居小屋の内側という非日常空間では、芝居小屋の外側の現実世界とは逆転できることを楽しむことが出来たのだ。

 ここで『陳廷敬』の内容に立ち入って京劇としての良し悪しを批評する心算は全くない。なによりも指摘しておきたいのは、中国政府(文化部文化芸術人材中心)が主管する京劇専門雑誌『中國京劇』(2018.02号/2月1日発行/総第248期)が『陳廷敬』を大々的に特集している点である。

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