変わる、キャリア教育

2018年5月14日

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福島創太 (ふくしま・そうた)

1988年生まれ。教育社会学者。早稲田大学法学部卒業後、株式会社リクルートに入社。転職サイト「リクナビNEXT」の企画開発等に携わる。退社後、東京大学大学院教育学研究科修士課程比較教育社会学コースに入学し、修了。現在は株式会社教育と探求社で、中高生向けのキャリア教育プログラムの開発に従事しつつ、同大学院博士課程に在学中。近著に『ゆとり世代はなぜ転職をくり返すのか―キャリア思考と自己責任の罠』

 「『正解がない』。その不確かさを、不安ではなく、自由として謳歌するために。私たちは学ぶことができる。」

 「女は大学に行くな、という時代があった。」という刺激的なフレーズから始まるこの文章は、神戸女学院大学が4月に掲載し、大きな話題を呼んだ電車内広告の一部である。時代が移り変わる中で手にした選択肢、その選択の自由を謳歌するために学ぼうというメッセージがその広告にはこめられていた。連載第4回目となる今回は、キャリア教育の効果をどう考えるのかということを切り口に、これからの時代何を評価していくべきなのかということを考えていきたい。

(iStock/phototechno)

キャリア教育をどう「評価」するべきか

 キャリア教育での取り組みが、自分たちの将来を豊かにすることにつながっていくのか、もっとやるべきことがあるのか。学んでいる当事者はもちろんのこと、その学びを届ける教師にとっても、日々の学びや取り組みの効果の測定や検証は非常に気になるところだろう。そしてこの連載を通して繰り返し述べてきた、「社会人、ビジネスマンもこれまで以上に教育に関わっていくべき!」という主張が受け入れられるとしたら、当然その大人たちにとっても若者に対してどんな教育を届け、いかに評価していくべきなのかは考えるべき問いとなるだろう。

 キャリア教育の難しさの1つがまさにこの評価なのである。学びを評価する目的がその学びの到達度を測ることにあるとしたら、評価の基準はその学び自体の目的に紐づくことになる。第1回の記事でも紹介したとおりキャリア教育という概念や目的自体は時代の中で変化してきているが、キャリア教育が扱うテーマの範囲が「働くこと」や「職業」、そしてそれらを通した「キャリア」、「人生そのもの」にあることは間違いない。そうであるとしたら、このキャリア教育は中高生、あるいは小学生が成長し、学生を終え、働き始めてから以降にも視野を向けて、その営みの成果を評価しなければいけないことになる。

 それははっきり言って不可能と言わざるを得ない。そしてその「不可能性」はどんどん増していっている。これまで教育に求められる大きな機能は子どもたちを「社会化」することだった。すなわち、子どもたちに社会の文化や価値、規範を身に着けさせ、社会に出る準備をさせることだった。したがって「社会に出る準備ができている状態」に子どもたちを仕上げることが、教育において行われるべきことであり、そうできているか否かが、教育がうまくいっているかを考える一つの指標だったと言える。当然、人生や職業をテーマとするキャリア教育においてこれは特に重要なこととなる。

 しかし現代社会はどうだろうか? いまの小学生が大人になるころ今ある仕事の半分がAIに取って代わられると言う野村総研の発表はすでに多くの人が知るところだろう。そんな未来がこれからやってくるなかで、彼らが大人になるときのための準備を用意することなど誰にできるだろうか。おそらく不可能だ。そうすると、キャリア教育においてどんな学びを獲得することが正しいのかを評価するということも著しく難易度の高い取り組みとなる。むしろそんな不透明な未来が想定されはじめたからこそ、「キャリア教育」が始まり、その中で「キャリアプランニング力」の形成が求められるようになったのだ。

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