2024年4月16日(火)

古希バックパッカー海外放浪記

2018年8月5日

(2017.9.5~10.15 41日間 総費用18万9千円〈航空券含む〉)

ウランバートルのフランス人カップル「過労死は権威主義的組織の産物」

 9月8日。ゲストハウスにチェックイン。荷物を置く間もなく、リビングのソファでくつろいでいたフランス人カップルとおしゃべりを始めた。二人は東洋文化に興味があり、特に日本については相当に知識を持っていた。近い将来是非とも日本を数ヶ月かけて旅行したいと計画していた。

モンゴル北西部の町ホブド。ロシアの地方の町のような雰囲気である

 女性は社会学を専攻しており現代日本の抱える問題に言及。彼女曰く、英国やドイツでは被雇用者は自分の希望に応じて比較的自由に転職できる。つまり労働市場は開放されており流動性がある。他方で日本とフランスでは転職により満足できるような職を得ることは一般的に困難である。

 日本とフランスの職場は現在でも大半が権威主義的(authoritarian)管理組織である。特に官庁や大企業では、下から叩き上げて出世の階段を上がって行くことが慣例となっている。それゆえ被雇用者は自分の上位の管理職に認められなければ、将来のキャリア形成の道が閉ざされてしまう。既存のヒエラルキーを肯定して、そのヒエラルキーを登ることでしか未来を開けない。

ノモンハン事件の戦場に近いモンゴル東部のチョイバルサンの町外れの戦勝記念碑。近くに旧ソ連赤軍の司令部跡がある

 この権威主義的管理組織では、被雇用者は上位管理職に正当な異議申し立てができず、長時間労働や休日返上に表立って抗議できない構造になっている。これがサービス残業(unpaid overtime)、過労死(karoushi)問題の本質であると彼女は結論づけた。

 確かにフランスはエアバス、エール・フランス、トタール石油、フランス国鉄、ルノー、シトロエン・プジョーなどフランスを代表する企業は国家が出資して経営権を握っており、フランス国立行政学院(ENA)出身の超エリートが経営の舵取りをしている。フランスのお役所や企業が日本と類似しているという指摘はさもありなんと思った。

 それにしてもカロウシがそのまま外国語になっていることに驚いた。過労死は権利意識の強い欧米では日本の特異性を物語るショッキングなニュースなのであろう。

オラーンゴムの町で野菜を売る農民の老夫婦。このロシア製の旧式のミニバンは未だにモンゴルの田舎ではふつうに走っている

ドイツの教師と看護婦さんのカップル、「歴史の真実は共有できる」

 9月11日。前日深夜にチェックインしたドイツ南部のババリアから来た教師のミカエルとナースのリサのカップルと談笑。二人と一緒にモンゴル帝国初期の古都であるハラホリンに旅行することになった。

ウランバートルからバスで6時間の草原のゲルでドイツ人カップル、ミカエルとリサ。このゲルはゲスト用の居間

 彼らはババリアの旧市街地が世界遺産に登録されたレーゲンスブルグ在住。ミカエルは中学で政治・歴史・文学を教えている。ドイツでは学校の先生は待遇が良く特に一年の半分は休暇という羨望の職業であると聞いていたので、ミカエルに聞くと苦笑いして特段否定しなかった。今回は前もってリサと調整して二人で一年の長期休暇を取得してアジア全域を周遊する計画だ。

 趣味は読書で旅行中も本を持参している。なんと今回はドフトエフスキーの“カラマーゾフの兄弟”(独語版)を持参していた。私も邦訳を持参していたので偶然の一致に吃驚。彼が力を入れているのが歴史教育で、特に近現代史が重要という。第一次世界大戦から第二次世界大戦後のロシアを含む欧州全域の動きを俯瞰するような歴史観を持つことが子供たちにとり重要と強調。さもないと対立の歴史を繰り返すと現在の欧州各国の移民問題、排外主義的傾向に言及した。

オラーンゴムの廃墟となった社会主義時代の国営工場。モンゴル各地でこのような朽ち果てた社会主義の名残が散在している

 現在、彼はポーランドの学校と交流プログラムを推進していた。当日は十数人のドイツ人同僚教師一行がポーランドの学校の教員や生徒と交流する日であった。ドイツ人教師によりポーランドの子供たちにナチスドイツについて講義して意見交換会を開くという。ミカエルは同僚教師と事前確認するためにパソコンのスカイプを立ち上げ、ドイツ語でなにやら活発に意見交換していた。休暇中でもこのプログラムだけは人任せにできないようだ。

 ミカエルは過去数年間ドイツとポーランドの両国教師による第二次世界大戦を中心とする共通の欧州史副読本を編纂する作業をしてきた。まず両国教師が歴史認識を共有して、次に両国の生徒たちに共有させるというステップのようだ。こうした努力を不断に継続すること真の和解(reconciliation)に達することができると力説した。

 中国、韓国の歴史教育の現状を顧みて、我々日本人と両国民との“和解”は果てしなく遠い道程に思えた。


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