定年バックパッカー海外放浪記

2018年7月1日

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高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

(2017.9.5~10.15 41日間 総費用18万9000円〈航空券含む〉)

モンゴルのラーゲリ(抑留捕虜収容所)

 9月10日。ウランバートル郊外の日本人墓地跡の慰霊碑・記念堂を訪ねた。市内からローカルバスを乗り継いでバス停から徒歩20分ほどで高台の公園のように整備された施設に到着。慰霊碑や記念堂からはウランバートル市街が望見できる。

小高い丘に立つモンゴル抑留日本人慰霊碑

 1945年8月15日の終戦直前に参戦したソ連軍の捕虜となった日本軍や軍属さらには民間人がシベリアに抑留され強制労働を強いられたことは広く知られている。しかしその一部の日本人抑留者がモンゴルに送られて多数の犠牲者を出したことは慰霊碑・記念堂を訪ねて初めて知った。

 この地にあった日本人墓地では800柱以上の遺骨が厚生省調査団の調査で確認されたという。資料によるとモンゴル全体では1700人以上の犠牲者を出したようだ。

慰霊堂の壁には身元の判明した約800名の犠牲者の氏名、出身地、没年月日が記載されたプレートが貼られている

 無念の最期を遂げた英霊は黄泉の国から現在の日本をどのように見ているのであろうか。「諸士よ。祖国日本は見事に復興しました。安らかに見守ってください」という昭和30年代に建てられた古い碑文が心に残った。

モンゴルは日本の外交戦略上、重要なパートナー

 記念堂内部には歴代日本政府や政治家の慰霊訪問の写真が並んでいた。いつ訪問した時の写真か不詳であるが小泉元首相や安倍首相の写真もあった。日本の政治家が外遊した時にこうした戦争犠牲者に対して礼を尽くすことは当然の責務である。

慰霊堂内部にかざられている小泉元首相が厚生大臣時代に慰霊祭に参加したときの写真

 他方で中国共産党の対外膨張政策に対して包囲網を形成するために、中国に対して強い警戒感を共有するモンゴルとのパートナーシップを確立することは“地球を俯瞰する外交”を標榜する安倍政権だけでなく将来の政権担当者にとっても当然の課題であろう。

 インド、ベトナム、フィリピンなどと同様にモンゴルを位置づけて戦略的に取り組むべきである。それがモンゴルで犠牲になった英霊へ我々が報告すべきことではないだろうか。

日本留学を目指す法学部女学生

 9月17日。ウランバートル市内の政治粛清記念博物館を訪問したが、残念ながら門が閉ざされていた。休館中なのか、それとも開館前なのか案内表示がなく困惑。この博物館は戦前のスターリン専制独裁時代にモンゴルでもスターリンの指示の下で展開された“政治粛清の時代”の関連資料を集めたもので是非とも参観したいと思っていた。

ウランバートルの高層ビル群のなかでひっそりと建っている政治粛清博物館

 諦めきれずに、通りがかりの人にモンゴル語の掲示板を読んでもらおうと声を掛けるが英語が通じない。諦めかけて帰ろうとすると、学生風の女子が来たので掲示板の解読をお願いすると『改修工事のため当面休館』とのこと。万事休す!

 彼女が上手な英語を話すので聞いたところ、大学3年生で法律専攻。実は学部を卒業したら日本で修士課程に進み日本の法律体系を勉強したいという。モンゴルは政治的に社会主義時代から急速に民主主義国家に変化したが、法体系の整備が追い付かないという。

 法の抜け穴があれば悪人が利益を得て善人が損をするという不公平な社会になってしまう。法律の不備は悪の温床となり国家を危うくするとの指摘。彼女は将来役人としてモンゴルの法体系を整備することが自分のミッションであると言った。

 緻密な法体系を構築して公正平等な社会を実現するために微力を尽くしたいと力説。そのために大日本国憲法下の旧法体系から戦後民主主義国家として緻密な法体系を作り上げてきた日本の事例を学びたいと熱弁を振るった。彼女の国家に貢献したいという高邁な志に心を打たれた。
このような学生を日本政府は費用全額負担の特待留学生として是が非でも招聘しなければならないと思った。将来の日本・モンゴル両国間の架け橋となる人材である。

 数年前にギリシアで出会ったインドネシア農業省の若きエリート技官のジュディ君を思い出した。彼は貴重な灌漑用水の分配を巡り毎年死者が出るほどの農民の水争いをなくすために、用水管理組合の組織化と運営手法を日本で研究しようとJICAに申請。しかしお役所仕事的な書類のやりとりに時間を費やし、一向に進展しないので断念。代わりにオランダ政府の奨学金制度でオランダ留学した。

 そんな話を聞いていたので、女学生の日本留学実現を切に願った次第である。

将来自分の子供を欧米でなく日本に留学させたい

 9月27日。ウランバートルのゲストハウスで女将さんとおしゃべり。彼女は30代後半であろうか。小学校高学年の娘2人、低学年の息子1人の3人の子供がいる。旦那と2人でゲストハウスと旅行代理店を経営している。モンゴル社会では“中流の上”なのであろう。

ソ連邦の援助で建てられたオペラハウス。19世紀から20世紀初頭に建設されたロシアの新古典主義建築のデザインを彷彿とさせる

 「社会主義時代と比較して生活水準は向上したのは確か。やはり物を自由に選んで買えるという社会は素晴らしい。社会主義時代は配給が中心で選択の余地はなかった。今後モンゴル社会は更に発展してより良い社会になると将来に期待しています」と語った。

 モンゴルはソ連崩壊後の民主化体制移行時代に経済混乱に陥ったが、現在は豊富な地下資源開発が経済を牽引して順調な経済成長が続いている。やはり経済成長過程にある国家では未来に希望を持てるのだろう。今から50年前高度成長期の日本でも同様に誰もがより良い未来を確信していた時代があった。ひるがえって現代日本で未来に希望を抱いている人はどれだけいるのかと考えさせられた。

 「子供たちを日本に留学させたい。欧米は競争が厳しいのでモンゴル人には向いていないと心配。中国は論外だし、韓国社会も問題がありそうだし、費用が高くてもやはり日本に留学させたい。」と熱心に語っていた。

 モンゴル人にとり日本は安全で日本人は誠実親切というイメージが定着しているという。特にテレビで大相撲中継を見てモンゴル人力士が活躍していることから、日本社会では外国人に対する差別がなくモンゴル人が受け入れられると信じていた。

 モンゴル人力士の活躍のお陰でノモンハン事件はモンゴルの庶民にとり既に歴史の一部になっているのであろうか。

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