定年バックパッカー海外放浪記

2018年8月26日

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高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

(2018.6.5~7.18) 44日間 総費用38万円〈航空券含む〉)

グリニッジで見えてきた英国が英国たる所以

 グリニッジ天文台で有名なグリニッジはロンドン中心部から15キロくらい南西に位置するテームズ河畔の町である。本編第3回で述べたように偶然グリニッジで合計6泊することになった。
グリニッジは小さな町で天文台の他に観光名所は旧海軍大学、海洋博物館、クイーンズ・ハウスくらいしかない。せっかく7日間も時間があるので毎日朝から晩まで旧海軍大学と海洋博物館とクイーンズ・ハウスに通い詰めた。

現在は音楽大学として使用されている旧王立海軍学校(海軍大学)の建物の一つ

 英国はなぜ日本より狭い島国で人口も日本の半分程度なのに世界中から現在でも尊敬され一目置かれる国家として存続しているのか以前から疑問に思っていた。世界の工場として産業革命をリードして大英帝国を築き、政治では民主主義国家のお手本となり、さらにEU離脱を進める現在でも英連邦を率いて新たな国家像を模索している。

 そうした“偉大なる栄光の英国”が形成された鍵がグリニッジで見つかったように思われた。

トラファルガー広場とネルソン提督像

トラファルガー広場。石塔の上に立っているのがネルソン提督像

 トラファルガー広場はバッキンガム宮殿の敷地の東にありロンドンの中心だ。トラファルガーとはネルソン提督麾下の英国海軍がナポレオンの命で英国本土侵攻を目指したフランス・スペイン連合艦隊を撃破した“トラファルガーの海戦”(1805)に由来する。

 もしフランス・スペイン連合艦隊が勝利していれば、その後の世界史は大きく変わったことであろう。英国と欧州大陸の命運を左右した海戦であった。そして広場の中心に聳える石塔の頂上に立っているのがネルソン提督像である。

 日露戦争における日本海海戦と東郷元帥に匹敵する英国の勝利と栄光のシンボルである。私は30年以上前に初めてロンドンに出張して以来何度もネルソン提督像を仰いできたが、なんとなく60歳前後の厳めしい軍人像をイメージしていた。

ホレーショ・ネルソンの生い立ち

 海事博物館に『トラファルガーの海戦とネルソン提督コーナー』がある。ネルソンの生家はノーフォークで教区牧師の第六子として生まれた。

 家計が困窮していたこともあり、母方の伯父が海軍軍人だった縁でネルソンは12歳のとき海軍に志願。現在から見ると若すぎるように思われるが、当時の海軍規則では6歳から入隊できた。
一般の水兵の経歴は子供の頃にボーイとして乗り込み、年長になると水兵の経験を積んでいったという。ネルソンは寄宿学校での初等中等教育を経てから入隊、士官候補としてキャリアをスタート。

 ネルソンは19歳で士官に任官。1779年21歳で艦長に昇進。当時の海軍では貴族出身の士官は20台前半で艦長に昇進しているが、その中でもネルソンの昇進は早い。

 29歳の時に西インド諸島で知り合った当時未亡人であったフランシスに熱烈な求愛をして結婚。フランシスは貞淑な女性であったようだ。航海中のネルソンに宛てた手紙を見ると達筆である。主人のいない留守宅を切り盛りし、ネルソンの死後もネルソンの父親の面倒を見て、英国政府からネルソンの軍人遺族年金を支給されたと展示に記載されていた。

勇猛果敢な海軍指揮官ネルソン

国立海事博物館 展示は子供が見学しても楽しめるよう随所に工夫されている。見学者の興味を惹きつけるレイアウトである

 海事博物館の展示を順に見ると、ネルソンは1780年(22歳)にニカラグアのサンファン要塞を攻略。それから北米のアメリカ独立軍の通商破壊作戦などに従事。その後はフランス革命後のナポレオン戦争に従事。

 1794(36歳)年コルシカ島の陸上戦闘で右目を負傷して視力を失う。1797年(39歳)ポルトガルのサン・ビセンテ沖海戦で敵艦二隻を拿捕する戦果を挙げて少将に昇進。同年、カナリー諸島のテネリフェ要塞攻略で右腕を負傷し右腕を切断(amputated)。

 ちなみに当時の海戦は砲撃戦で始まり、接近戦、さらには敵艦に乗り込んでとどめを刺すという戦法であり負傷者が続出したという。そのため外科医(surgeon)が乗船していた。感染症を防止するため即座に切断手術をするのが常であった。麻酔薬もなく負傷者を助手の水兵が押さえつけてノコギリや鉈で一気に切断するという荒業のようだ。当時の手術道具が陳列されていたがまるで拷問道具のようだ。

 右腕を失ってしばらくしてからネルソンが知人に宛てた手紙が残っている。ネルソンはわずかに残った右腕のつけねをヒレ(fin)と呼んでいた。このヒレの痛みは彼を相当に悩ませていたようで強気の攻撃で知られる英雄にしては珍しく知人に弱音を漏らしている。

 こうしてネルソンは39歳にして独眼竜、隻腕の司令官となった。展示解説によると当時の海戦は双方の艦隊が偶然遭遇して砲撃戦を行うというものであった。帆船どうしの戦いのため風任せ運任せの要素が大きく、敵艦隊に決定的打撃を与え殲滅するような海戦はほとんどなかった。

 ネルソンの功績で特筆すべきは、海象や敵艦隊の動きに応じて、自分の指揮下の艦隊を有機的に動かして陣形を臨機応変に変えて敵艦隊を殲滅するという戦術を編み出したことである。そして勇猛果敢・率先垂範のネルソンは人心掌握術にも優れ見事な統率力を発揮したという。

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