オトナの教養 週末の一冊

2018年9月21日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

 中国の一帯一路にロシアのユーラシア連合構想。その実現はさておき、両国には壮大な構想がある。共産圏や巨大な国土、独善的なリーダーという共通点を持ち、近隣の国である両国は現在いかなる関係を築いているのか。『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)を上梓した慶應義塾大学の廣瀬陽子・総合政策学部教授に、中露関係や関係する旧ソ連の中央アジア諸国などについて話を聞いた。

中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領(写真:代表撮影/AP/アフロ)

――今回のテーマは中国とロシアの関係についてです。両国ともに、絶大なリーダーシップを発揮する指導者がいるわけですが、互いにどのように相手国をみているのでしょうか?

廣瀬:プーチン大統領自身が、中国が好きかと問われれば決してそうではないと思います。ただ、国として戦略的に協力しなければならないという認識でしょう。

 中国側にしても、ロシアとの関係は不可欠というほどではないと考えられます。ただ、一帯一路の成否が国際社会の評価を左右する現状において、その一地域である中央アジアで成功するためにも、ロシアとの関係は戦略的にも良好に保ちたいところでしょう。

――中露関係は、互いに戦略的な意味合いが強いと。

廣瀬:中露関係は「離婚なき便宜的結婚」などと言われます。利害では、反米、かつアメリカの一極支配ではなく、多極的な世界の維持を望んでいる点で一致している一方、お互いに不信感を抱いている。周囲の人たちが「そんなに信頼していないなら別れればいいじゃない」とアドバイスしても、別れない夫婦のようなものです。

――もともと同じ共産圏ですが、現在のような状況はいつ頃からなのでしょうか?

廣瀬:ソ連時代に遡ると、最初は良好だった中露関係が、約50年間の反目の時代をへて、2004年頃から再び関係を改善化、そして緊密化していったと言えます。ソ連は中国の建国を支持し、軍事技術も惜しみなく供給していました。しかし、1956年のソ連共産党大会で、フルシチョフ共産党第一書記のスターリン批判を契機に、両国間にイデオロギー対立が起きます。この対立は長らく続き、1968年の中ソ国境紛争で関係悪化がピークに達しました。ソ連解体後も微妙な関係でしたが、当時のエリツィン大統領と江沢民主席が、戦略的パートナーシップを掲げた共同宣言に調印すると、1996年に後の上海協力機構の前身にあたる上海ファイブを結成します。

 2000年にプーチン大統領が就任すると、国境問題などのトラブルになる事案はなるべく早めに解決するスタンスを鮮明にします。そこでかねてからの懸念だった中露の国境問題を、2004年に等分割することで解決します。

 08年にロシア・ジョージア(グルジア)戦争が起き、ロシアは国際社会で孤立します。特に、アメリカはロシアに激しく反発したため、ロシアはアメリカへの対抗意識をより鮮明にしますが、ロシア1国ではとてもではないが敵わない。そこで、徐々に関係が良好になりつつあった中国との仲をより深めようとします。

 ただ、2000年代半ばに経済面でピークを迎え、国力にも勢いがあった当時のロシアは、中国と協力姿勢を取りつつも、強気な態度でした。そうした態度が明らかに変わったのが、14年のウクライナ危機です。それまではロシアから中国への天然ガス輸出問題でも価格面で相いれず、交渉が決裂していたのが、ウクライナ危機が起きると、欧米からの経済制裁と石油価格の暴落などにより、ロシアは経済的に苦境に立たされました。中国側の譲歩もあったと言われていますが、ロシアも譲歩し、天然ガスの価格問題が妥結しました。その天然ガスの輸送のために、「シベリアの力」という新しいパイプライン計画が発表され、現在建設が進んでいます。

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