公立中学が挑む教育改革

2018年9月21日

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多田慎介 (ただ・しんすけ)

ライター

1983年、石川県金沢市生まれ。大学中退後に求人広告代理店へアルバイト入社し、転職サイトなどを扱う法人営業職や営業マネジャー職を経験。編集プロダクション勤務を経て、2015年よりフリーランスとして活動。個人の働き方やキャリア形成、企業の採用コンテンツ、マーケティング手法などをテーマに取材・執筆を重ねている。

優秀なリーダーを生み出した寺子屋の教え方

青野:トップのマネジメントのもとで先生たちが互いの強みを生かし、チームワークを発揮していく。そうした姿を子どもたちに見せていくことは大切ですよね。

工藤:はい。しかし現在の日本の教育はこのことを押さえ切れていないのかもしれません。そもそも学校が何のためにあるのかさえ忘れてしまっているように思います。本来、学校は子どもたちに「人とつながり、社会の中で生きていく」力を身につけさせるためにあるはずです。結果としてそれが、社会をより良くすることにつながっていくのです。

 

青野:シンプルで分かりやすいですね。

工藤:考えてみれば当たり前のことなんですよね。人が人とつながり、社会の中で生きていくためには、コミュニケーション活動や経済活動の学びが必要です。でも今の学校は、これを忘れてしまっているように思います。

青野:確かに。「社会人を育てようとしていない」という感じがします。

工藤:今の学校は、社会から切り離され、特別な場所のように扱われているように感じます。本来、コミュニケーション活動や経済活動を学ぶためにこそ、カリキュラムがあるはずです。そして、学習指導要領はそのカリキュラムをコントロールするためにある。しかし、私たち大人は勘違いをしてしまった。学習指導要領をこなすことが目的になってしまったんです。

教育の歴史を振り返ってみると、江戸時代の寺子屋には、コミュニケーション活動や経済活動の学びがしっかりとイメージできました。

青野:寺子屋?

工藤:寺子屋のカリキュラムはご存知の通り「読み・書き・そろばん」が基本です。確かにコミュニケーション活動と経済活動の学びですよね。そして、学び方は「生徒同士の学び合い」が基本でした。現在のような一斉授業ではなかったんです。

青野:そうだったんですか。

工藤:江戸時代、寺子屋や藩校では情報をただただ受け取るという一方通行の学びではなく、双方向の学び合いが基本でした。学び合いは社会での人の営みそのものです。藩校の中には「子どもが学ぼうという気持ちがないのに、先生が教えようとするのは教育ではない。そんなことをしても、子どものためにならない」という教えの記録もあるんですよ。

青野:まさに「社会」ですね!

工藤:学び合いでは、一人ひとりが常に交渉し合っているんですよね。「僕はこれを教えられる」「なるほど、こう教えるとそういう反応なのか」「だったらもっと教え方を変えなきゃ」と。明治維新において革新的な物事に対応できる優れたリーダーがたくさん生まれたのは、江戸時代のそうした教育があったからこそじゃないかと思います。

青野:現在の一斉授業のスタイルだと、基本的にはみんな「聞いているだけ」だから、リーダーシップを発揮する経験ができないですよね。それが学び合いになれば「僕もリーダー」「あの子もリーダー」となる。

 

工藤:「学び合いスタイル」は生徒のコミュニケーション能力をはじめ、主体性、リーダー性を伸ばすことができます。さらには、結果として成績も大きく伸ばすことができるんです。実際に、この方法で大きな成果を上げている都立高校のスーパー英語教員を私は知っています。

青野:英語の授業で学び合いとは……。それで実際に成績が伸びるというのはおもしろいですね。

工藤:本当の教育改革を行うためには、カリキュラムや教科書そのものを変える必要があるのかもしれません。事実、「カリキュラムを変えなきゃいけない」と指摘する方もたくさんいます。私自身、確かに学ぶことが多過ぎるのではと感じています。でも、現状のままでも十分におもしろい学びができるんです。

青野:しかし実際には、カリキュラムの議論ばかりしている印象がありますね。教え方の論議はほとんどなされていないように思います。私の上の子は小学校3年生なんですが、学校の様子を見てびっくりしました。黒板があって先生がいて、みんな同じ方向を見ているという、40年前の自分自身の子ども時代と何も変わっていないんです。

工藤:おっしゃる通り、「現代にマッチしたカリキュラムは何か」ということは盛んに議論されているのですが、「どのようなスタイルで学ぶべきか」という議論はほとんど行われていませんよね。

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