しかし、それほどの規模の大会ながら国内における認知度はあまり高いとは感じられない。サッカーや野球に比べ競技的にマイナーゆえか、それとも、翌2020年オリンピック・パラリンピックという最大級のイベントに話題が奪われているからだろうか。開催都市では様々なラグビーイベントが開催され、地域の人々の盛り上がりを図る試みが行われている。
本コラムは日本でもアジア地域としても初開催となる『ラグビーワールドカップ2019™日本大会』が一部のファンに留まることなく、一人でも多くの読者に興味を抱いていただけるようラグビーの魅力を伝えていきたいと企画された。
広く社会的に意義のある大会となるよう願いを込めて。
『“熱視線”ラグビーW杯2019の楽しみ方』第1弾はラグビーの魅力を語らせたら右に出る者はいないというラグビージャーナリストの村上晃一さんとラグビーマガジン編集長の田村一博さんのお二人から、ラグビーの成り立ちから日本大会の見どころなどを余すことなく語っていただいた。
ひとりの少年からはじまった楕円球の物語
――ラグビーといえば、やはりこの少年抜きには語れません。
村上:そこからいきますか。では、伝説の概略から。
1823年イングランド北西部にあるパブリックスクールのラグビー校にエリスという少年がいて、フットボールの試合中にボールを持って走ってしまったというのがラグビーの始まりだと伝えられています。ですが、これを誰も見たことがありません。50年ほどあとになって、OB会が調査して、たぶんこうだったんじゃないか、ということから、伝説と言われています。
このラグビー校で行われていたフットボールは手でボールを持つことはできても、蹴って進めなければいけないというルールでした。
一部で伝えられている「サッカーの試合中にエリス少年がボールを持って走った」というのは誤りです。この時代、まだサッカーはありませんから。
――さらに古い時代に行われていたお祭りが起源だという説もありますね。
村上:フットボールの源流は中世イングランドで村同士の対抗戦として、一つのボールを奪い合いながら相手のゴールに運んでいくという、いわばお祭りのようなものにあるのですが、人々があまりにも熱中したため禁止令が出されて廃れてしまったのです。それが伝わって各学校でフットボールとして独自のルールのもとに行われるようになっていったのです。
田村:中世に行われていたものを日本語では「原始フットボール」と訳されるのですが、これがフットボールの起源となって派生していったものの一つにラグビーがあります。
村上:その後、各パブリックスクールで行われていたフットボールのルールを統一しようという会議の中で、手を使わない派と手を使ってボールを持って走る派に分かれていくのですが、そこからさらにオーストラリアンフットボールやカナディアンフットボールなどに分かれ、現在、全世界に7つのフットボールがあると言われています。その中で手の使用を制限されているのはサッカーだけで、その他はボールを持って走るものばかりです。
ラグビーはラグビー校でルールが整備されていったので『ラグビー』と呼ばれるようになりました。
田村:ラグビー好きな人たちは枠からはみ出すようなことをするのが好きなんですね。だから愛すべきエピソードとしてエリス少年のことも語り継がれているのだと思います。
村上さんはエリス少年のお墓に行かれたことがあるんですよね。どんなところですか?
村上:フランスの南、イタリアとの国境沿いにあるマントンという街で地中海を見下ろせる丘の上にあります。一部にはウイリアム・ウエッブ・エリスという人は伝説の人なので実在しなかったんじゃないか、なんて言われていたこともあるのですが、聖職者として最期はフランスで亡くなっています。
そのお墓には各国のラグビー協会から贈られた記念碑が置かれていて、イングランド協会からは「最初のラグビーフットボーラー」という記念碑が贈られています。