名門校、未来への学び

2019年2月12日

»著者プロフィール
閉じる

鈴木隆祐 (すずき・りゅうすけ)

ジャーナリスト

1966年長野県生まれ。法政大学文学部在学中より出版社で雑誌編集を始め、その後フリーに。著書に『名門高校人脈』(光文社新書)、『名門高校 青春グルメ』(辰巳出版)ほか。

 日本を代表する名門高校はイノベーションの最高のサンプルだ。伝統をバネにして絶えず再生を繰り返している。1世紀にも及ぶ蓄積された教えと学びのスキル、課外活動から生ずるエンパワーメント、校外にも構築される文化資本、なにより輩出する人材の豊富さ……。本物の名門はステータスに奢らず、それらすべてを肥やしに邁進を続ける。

 学校とは単に生徒の学力を担保する場ではない。どうして名門と称される学校は逸材を輩出し続けるのか? Wedge本誌では、連載「名門校、未来への学び」において、名門高校の現在の姿に密着し、その魅力・実力を立体的に伝えている。だから、ここでは登場校のOB・OGに登場願い、当時の思い出や今に繋がるエッセンスを語ってもらおう。

 今回取り上げた彦根東高校(以下、東高)は元藩校で、彦根城の中にある。校訓は「赤鬼魂」と勇ましい。これは井伊家の武具甲冑、「赤備え」に由来する。第15代藩主・井伊直弼は幕府の大老として開国を果敢に主張。桜田門外の変で水戸浪士らに謀殺された。それも真っすぐに当時の国難にぶつかった結果だ。

田原総一朗氏(撮影・松沢雅彦)

 東高は一昨年夏、昨年春と2季連続で野球部が甲子園に出場し、全国的にも知られるようになった。しかし、全国高校新聞コンクールで常勝する新聞部も負けてはいない。両者に共通するのは、直弼譲りの愚直なまでの果敢さだろうか。そんな東高の魅力を解明するために「Wedge」2月号では新聞部の活動に密着している。

 彼らの大先輩ジャーナリストには田原総一朗さんがいる。かつて東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクターとして『ドキュメンタリー青春』や『ドキュメンタリーナウ!』などの斬新な番組を手がけ、果敢な姿勢で当時の日本社会が抱える、欺瞞や矛盾に切り込んでいった。

彦根東高校

 田原さんは1934年、代々近江商人だった家に生まれ、時節柄、「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り、敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢という軍国少年として育った。しかし、敗戦を迎え、すべての価値観がひっくり返り、「大人たちは信用できない」と思ったという。

 戦後すぐは地域一番の東高もまだ旧制彦根中。田原さんも受験準備に勤しんでいたが、それも学制改革で入試体制が変わり、50年に新制高校3期生として東高に進んだ。入学当初、同校も彦根西・彦根南と3校で統合制の「県立彦根高校」を名乗っていたが、卒業する52年には現校名となっている。

 「小学校5年の半ばに急にそんなことになった。受験勉強を(小学校の)先生に見てもらってたのに、中学入試がなしになったんだ。青年学校(註)でまだ授業をやっていてね。3年の2学期になってやっと校舎で授業ができた。

 (5年制の)旧制中学で教えていた先生たちも、新制高校で教えることにまだ迷いがあったな。言ってみれば、地域唯一の進学校。だから中学から受験して入ろうと思ってたわけだけど、それでも当時、大学に行ったのが半分もいなかった。小学校から数えると、10分の1もいないでしょう。

 中学では野球部でよくできた。レギュラーでサードだった。高校に入っても続けたんだけど、ずっと補欠で正選手になれずじまいだったから、2年の1学期で辞めた。今は甲子園でも活躍しているけど、その頃は京都と(地区が)一緒で、『滋賀・京都大会』なわけ。京都は強かった。一度も甲子園に行けてない。でも、野球部で大学に行ったヤツもいないね」

 今はそうでもないが、戦後から平成まではずっと、京都の高校野球といえば、あの鉄人・衣笠祥雄を輩出した平安の天下。田原さんが高校時代にも、天秤打法の元大洋監督、近藤和彦らが活躍していた。

 「高校では野球部の他、美術部と生徒会にも所属していた。絵は中学では展覧会にも入選したけど、高校で周りの作品を見て、自分のは「絵もどき」だなって挫折した。作家になろうと思っていて、だったら早稲田の文学部だと。家も貧乏だし、昼は働いて夜学に通おうと、高校入学時から決めていた。だから、数学や化学にはあまり力を入れなかったね(笑)。

田原氏が高校時代に書いた野球小説。絵も自筆
 

 当時から小説は書いていて、学校新聞に載ったこともあったよ(写真)。よくは覚えてないけど、高校野球がテーマで、甲子園に行くっていう話。小説で夢を叶えた? ま、そんなところ(笑)」

 新聞部の活動こそしていなかったが、その頃から逆に寄稿を求められる立場だったとは、まったく「栴檀は双葉より芳し」である。

 「小学5年の夏休みで敗戦。それまでは軍事教練をさせられ、『世界の侵略国を打ち破り、アジアを解放させる正義の戦争をし、名誉の戦死をしろ』と教えられてきた。従弟が兵学校に行き、カッコいいとも思ってたしね。ところが戦後、教師の言うことが180度変わった。『やってはいけない悪い戦争だった』と言う。戦争を誉め称えていた人が2学期を迎えると、次々と逮捕されるんだ。その最大は東條英機。エラい大人たちの言うことはまったく信用できない、とその時思ったね。

関連記事

新着記事

»もっと見る