名門校、未来への学び

2019年2月12日

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鈴木隆祐 (すずき・りゅうすけ)

ジャーナリスト

1966年長野県生まれ。法政大学文学部在学中より出版社で雑誌編集を始め、その後フリーに。著書に『名門高校人脈』(光文社新書)、『名門高校 青春グルメ』(辰巳出版)ほか。

 一方で、掌を返したように中学では、『君らは平和のために戦え』と教師は言う。そのうち朝鮮戦争が勃発し、それが高校の時だ。アメリカ軍を解放軍と呼んだ共産党員が、今度はレッドパージで追放される。なんでこんなことが起こるのか。作家やジャーナリストは自分で確かめなくちゃならない。だから、なりたいと思ったんだ。

 商売に関する仕事にも就きたくなかったんだけど、近江商人だった祖母には『政治家やお役人だけにはなるな』と言われた。まだ薩長の時代が続いてたんだ。彦根はご存知のように井伊家の城下町だからね。なったところで、出世できないと。

 でも、近江商人は『三方よし』というでしょう。三方とは客、世間、自分。みんなにとってよかれと。30歳過ぎた頃から、それがとても大事だと思えるようになったね」

 郷土のヒーローと商法と。高校時代を顧みてもらっても、やはりその話が出てくる。赤鬼魂の矜持と、伊藤忠商事の創業者・初代伊藤忠兵衛もそのうちに数えられる、近江商人のバランス感覚。彦根人の強かな血が確かに田原さんにも流れているのだ。

 「報道はNHKかTBSと言われていた時代、岩波映画から12チャンネルに移った。貧乏局だし、向こうの方が偏差値も高い。だから、無制限一本勝負みたいなヤバい、向こうが作れないような刺激的な番組を作った。

 全共闘の頃、(ジャズピアニストの)山下洋輔が『大乱闘の中、ピアノを弾きながら死ねたらいい』って言うから、バリケード封鎖中の早稲田に連れてったんだ。大隈講堂からピアノを盗み出してね、山下に弾かせて、いつ内ゲバが始まるか、機動隊が突入してくるかわからない。そしたら、どのセクトもみんな入り交じり、黙って山下の演奏を聴いてた。ま、アナーキーだね。

みんなに自力で学んでほしい

田原総一朗氏(撮影・松沢雅彦)

 今、学校で明治以降の歴史をなにも教えないというが、自分が中学高校の頃もそうだった。どこでどう間違えたのか……。みんなに自力で学んでほしいね」

 田原さんはやはり『文藝春秋』で田中角栄のインタビューなどをし、政界に切り込んでから先、成長を遂げたジャーナリストだ。自身政治家にこそならなかったが、彼らと対等に会話ができる。いや、むしろ発破をかけられる稀有な存在だ。

 取材の最後、高校時代の学友と、政治談義をしたりもするのですか?—と問うと、「みんなおっかながって、そんな話は一切しないよ」と少し憮然とする田原さん。ふと世間のオヤジたちに、田原さんのようにもっと怒っていいんだよと、声をかけたくなった。

 註・戦前までの義務教育期間である尋常小学校(のち国民学校初等科)6年を卒業した後、中等教育学校(中学校・高等女学校・実業学校)に進学せず、勤労に従事する青少年に対し社会教育を行っていた機関。

  
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