定年バックパッカー海外放浪記

2019年2月24日

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高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

(2018.2.24~3.24) 28日間 総費用42万円〈航空券含む〉)

のどかなダルマチア地方の海岸線を走っていると突然国境検問所が出現

(greta6/Gettyimages)

 3月15日。世界遺産の町ドゥブロブニクからアドリア海沿いの海岸線を快走。ダルマチア地方特有の複雑な海岸線と島々が織りなす絶景が早春の陽光に映える。

 ちなみにダルマチアと言えば往年のディズニーアニメの“101匹わんちゃん大行進”で有名になった犬種ダルメシアンの発祥の地である。ところが残念ながら百キロ以上もダルメシア地方を走ったが一匹もダルメシアンを見ることができなかった。

 ドゥブロブニクからのどかなダルマチアの海岸線を50キロくらい走った地点で検問所のような小さな詰め所があり警備員に停止を命じられた。

 クロアチアとボスニア・ヘルツェゴヴィナの国境検問所であるという。とっさのことで自分の現在位置がどこなのか理解できず面食らってしまった。『地球の歩き方』に掲載されていたクロアチアの概観地図でおおよその地理的位置関係を頭に入れて走っていた。ドゥブロブニクからスロベニアに近いリエカまでアドリア海沿いに数百キロ以上細長くクロアチア領が続いていたはずである。

 再度『地球の歩き方』の該当ページの地図を開いて子細にチェックすると1ミリくらいクロアチア領土の海岸線が途切れてボスニア・ヘルツェゴヴィナの領土がアドリア海の入り江に顔を出しているように見えた。詰め所の係員にその地図の該当箇所を指さして聞くとニヤリとして「イエス」と答えた。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの唯一の港町は優雅なリゾート

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナへの入国審査を終えて複雑に入り組んだ海岸を見下ろす山道を登る。午後3時頃アドリア海の入り江のネウムという小さな町に到着。グーグルでチェックすると10キロ足らずの海岸線がボスニア・ヘルツェゴヴィナ領である。ネウムから海岸線を数キロ北上すると再びクロアチア領である。

 スマホでチェックすると、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの海岸線はモナコ公国に次いで世界で二番目に短い海岸線であるという。しかしモナコの海岸線は比較的直線的であるがネウム付近の海岸線は入り江が複雑に連続しており、実質的に直線距離で比較するとボスニア・ヘルツェゴヴィナの海岸線が“世界一短い海岸線”といえるのではないか。

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナの唯一の港町であるネウムは漁船とヨットが停泊しているだけの瀟洒なホテルが並ぶリゾートである。それはボスニア・ヘルツェゴヴィナには経済活動を支える海への出口がないという悲しい現実でもある。

世界一短い海岸線は複雑な歴史の産物

 ディナルアルプス山脈とアドリア海に挟まれた細長い海岸地帯であるダルマチア地方は18世紀にはベネチア共和国領であった。ダルマチア地方には当時からローマ・カトリック教徒のクロアチア人が住んでいた。

 当時オスマン帝国がバルカン半島への支配を拡大しており、都市国家ドゥブロブニクはオスマン領となった。ベネチア共和国はドゥブロブニクの西北に位置する町ネウムを緩衝地帯としてオスマン帝国に割譲した。その複雑な歴史的経緯からネウムの町はボスニア・ヘルツェゴビナ領となったのだ。

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