迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

2019年3月18日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

 日本の「終身雇用」は崩壊しつつある(参照:崩壊に向かう日本の「終身雇用」)。終身雇用制度が崩壊すれば、競争社会がやってくる。競争が激化すれば、弱肉強食が始まる。これは一般的に描かれた競争社会の構図だが、日本社会は果たしてそうなるのか? まずは一般論として「弱肉強食」の本質を掘り下げてみたい。

iStock / Getty Images Plus / Jay_Zynism

「弱者の仕分け」が必要

 弱肉強食という現象には善悪の判断を差し挟む余地がなく、存在するある種の事実である。どうしても悪というのなら、悪しき事実の存在としてこれを認識しなければならない。台風や地震と同じようにだ。

 私たちを取り巻く環境は全般的に厳しい。いや、過酷だ。競争の激化は、資源全体の成長(拡大)停止ないし減少、そして人間の欲望に起因する。人間の欲望も事実の存在であり否定のしようがないし、善悪の判断を差し挟む余地もない。このような客観的な外部環境を非難しても、改善する手立てがない以上、非建設的で無価値である。

 競争の世界では、争奪対象となる資源の総量が限られている以上、必ず勝ち組と負け組から成るいわゆる「弱肉強食」現象が生じる。そこで弱者が同情され、強者が非難される構図はいかにも日本的な風景である。

 弱者に同情を寄せる。日本社会の普遍的倫理観である。生活保護制度は弱者救済の制度だとすれば、受給者が弱者となる。その例を見てみよう。

 パチンコで遊んでいる生活保護受給者が多いことから、2015年10月の計5日間、大分県別府市役所の職員35人が連日出動し、パチンコ13店と市営競輪場を巡回して合計25人の生活保護受給者を見付け、市役所に呼び出して注意したという。

 生活保護への財政投入はさておき、35人の公務員が数日パチンコ店を巡回するという人件費だけでも100万円を超えていた。100万円以上の税金をかけて何をしたかというと、パチンコで遊ぶ生活保護受給者を探し出して注意をしただけ。これが税金の使い方であり、弱者救済の取引コストでもある。

 パチンコ遊戯はまだしも、犯罪となると話が違ってくる。向精神薬の密売で逮捕された者には、元生活保護受給者や母子家庭も含まれていた。そうしたニュースもある。生活保護受給者の医療費は全額公費負担である。生活保護受給者は複数の病院を回り、担当医に処方増量を依頼し、自分が飲む量の倍以上の向精神薬をタダで入手しそれをネットで転売する。それで服やバッグの購入費、飼いネコの餌代といった小遣いを稼いでいたという。

 明らかに「弱者=善」という捉え方は間違っている。弱者は単なる弱者である。中には、本物の弱者と偽物の弱者、勤勉な弱者と怠惰な弱者、善の弱者と悪の弱者、被害者の弱者と加害者の弱者が混在している。弱者救済といっても、それほど簡単ではない。弱者の仕分け作業それ自体に大きな取引コストが伴う。救済コストも取引コストも社会全体が負担しなければならない。

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