Washington Files

2019年8月5日

»著者プロフィール
著者
閉じる

斎藤 彰 (さいとう・あきら)

ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長

1966年早稲田大学卒業。68年米カリフォルニア州立大学バークレー校大学院修士課程修了、70年読売新聞入社。ワシントン常駐特派員を2度務めた後、アメリカ総局長、東京本社取締役調査研究本部長などを歴任。近著に『中国VSアメリカ』『アメリカはカムバックする!』(いずれもウェッジ)がある。

対イラン「有志連合」結成は掛け声倒れの公算

 トランプ政権が主要国に呼びかけてきた対イラン「有志連合」構想について、ポンペオ国務長官が「時間がかかる」と述べ、結成が難航していることを公式に認めた。中国、ロシアの反対に加え、日本はじめ欧州同盟諸国も参加に消極または慎重姿勢を取り続けており、このままでは掛け声倒れに終わる公算が大きい。

 もともと「有志連合」結成の呼びかけは、出だしから暗礁に乗り上げた格好となった。

 その象徴が今年2月、ワルシャワで2日間にわたり開催された米政府主導の「中東平和安全保障国際会議」だ。会議の当初の目的は、中東情勢に深いかかわりのある約60カ国の関係閣僚を招待し、トランプ大統領の意向を受けた「対イラン包囲網」結成への賛同取りつけにあった。

(flySnow/gettyimages)

 このため米側は、ペンス副大統領はじめ、ポンペオ国務長官、ボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当)らトップレベルの陣容で会議に臨み、ホルムズ海峡における「イランの脅威」を繰り返し強調、関係各国の理解と結束を求めた。

 ところが、結果は裏目に出て、会議自体が失敗に終わった。なぜなら①イラン核合意当事国のうち中国、ロシア、フランス、ドイツおよびEUは閣僚ではなく下級事務官の参加にとどめた②イギリスはハント外相(当時)が出席したものの、イラン問題協議には加わらなかった③会議の表向きの目的は中東全体の安保問題協議にあったが、実体は「対イラン包囲網」結成にあることが明らかとなり、参加国の多くが反発した④会議終幕の共同声明では「イラン」への言及自体が省かれた―などの顛末となったからにほかならない。

 その後、アメリカは、去る7月19日、25日、31日と3回にわたり関係諸国を招いた会合を開催、精力的に「有志連合」への参加を呼びかけているものの、ほとんど成果は挙がっていない。「笛吹けど踊らず」の状況といえる。

 これは、1991年湾岸戦争時の国際社会の反応とは大違いだ。

 湾岸戦争はいうまでもなく、1990年8月、イラクのサダム・フセイン独裁政権が石油産油国クェートに侵攻、一挙に占領したのをきっかけに、国連安保理はただちにこれに対抗するため有志国による多国籍軍の派遣を決定、その3か月後の翌91年1月17日から2月28日にかけて開始された大規模な戦争だった。

 当時のH.W.ブッシュ米大統領が中心となりイラク軍撃退を目的として関係各国に軍隊派遣を呼びかけた結果、冷戦時代のアメリカの最大ライバルでもあったソ連のほか中東のイスラエル、サウジアラビ、エジプトなどを含む34か国が参加、第二次大戦以来の大規模な連合軍によるイラク撃退作戦として知られる。

 そしてこの大作戦は比較的短期間で勝利をおさめ、イラク軍のクェート完全撤退により幕を閉じることになったが、成功の背景には、対イラク戦争参戦の道義的理由を国連はじめ世界の大多数の国々が共有していたからにほかならない。

 同じアメリカ主導の「有志連合」呼びかけが低調のまま成果を得ることなく閉幕した今回の国際会議との決定的違いがここにある。

関連記事

新着記事

»もっと見る