Wedge REPORT

2019年8月26日

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 今夏の甲子園は星稜(石川)の奥川旋風で大いに盛り上がった。同校は準優勝に終わり、しのぎを削った末に初優勝したのは履正社(大阪)だ。その履正社も今春のセンバツ甲子園で辛酸を舐めさせられた星稜のエース・奥川恭伸投手へのリベンジを誓い、決勝で見事に雪辱を果たした。履正社の岡田龍生監督が勝利監督インタビューで「奥川君に感謝したい」と口にしたのは紛れもない本心だろう。それだけ奥川が、強大な存在であったということだ。

 奥川はこの夏の甲子園・3回戦の智弁和歌山(和歌山)戦で延長14回を完投して、あの江川卓(作新学院)の記録に並ぶ23三振を奪った。自己最速記録を更新する154キロもマーク。プロ野球界からの評価も急上昇し、今秋のドラフト1位候補としてともにU―18W杯(8月30日~、韓国・機張)に参加する高校最速163キロ右腕・佐々木朗希(大船渡)と人気を二分するか、あるいはその佐々木をも上回る指名数になるのではないかとも目されている。

 さて、そんな奥川フィーバーの陰に隠れるように、いまひとつクローズアップされない星稜準Vの立役者がいる。星稜を率いた林和成監督だ。たとえ準Vとはいえ、本来ならば、もっと派手に各メディアから取り上げられてスポットライトを浴びせられてもいいはずだ。しかも、これだけ話題の奥川を擁してチームを夏の甲子園で24年ぶりの決勝進出へと導いた指揮官である。

(Wako Megumi/gettyimages)

 1992年の夏の甲子園では2年生ながら星稜野球部の正遊撃手として、1つ上の松井秀喜氏とともに聖地のグラウンドでプレー。当時はその偉大な先輩・松井氏が明徳義塾戦において5打席連続で敬遠されたシーンも目の当たりにしている。こうやって掘り下げてもさまざまなドラマがあるはずだ。だが、たとえドラマ性の深い準V指揮官となっても焦点を当てられないのは、やはりあの一件が影響しているからであろう。

 言うまでもなく今春のセンバツ甲子園の習志野(千葉)戦でサイン盗みを疑い、物議を醸したことだ。その習志野戦終了直後の囲み取材で報道陣に怒りをぶちまけているうちに我慢し切れなくなると相手チームの敵将のもとへ猛抗議しに行き、大騒動を巻き起こしたのは未だ記憶に新しい。さらにその後も週刊誌に対して自らの主張と習志野の〝疑惑〟を一方的にぶち上げてしまったことで、星稜高校側からも行き過ぎる言動を問題視され、6月4日まで2カ月間の指導謹慎処分を言い渡されていた。

 確固たる証拠も根拠もないまま習志野をヒールに仕立て上げようと血気盛んに動いたはずが、結局は自分がヒールになってしまった。どことなくグレーゾーンの感が拭えず、しかもアンタッチャブルな要素も漂う相手のサイン盗みに関して声を大にしながら、大勢のメディアが集う衆人環視の場において敵陣に殴り込み同然の姿勢で出向いて行った事実はそう簡単に消えない。こうした背景こそ今夏の甲子園でスターとなった奥川の恩師であり、準V指揮官でありながらも大々的に扱おうとするメディアが少ない理由にどうやらつながっているようだ。

 ただ、そんな林監督の〝ミソギ〟は十分過ぎるぐらいに済んだと言えるのかもしれない。2カ月間の謹慎期間中、学校には抗議電話が殺到し、プライベートにも悪影響を及ぼすほどの誹謗中傷を受けた。介護施設でボランティア業務にも携わり、相手の側に立つ姿勢についてもう一度、見つめ直した。数々の批判も真摯に受け止め、ネット上で書き込まれるコメントにも一語一句、目を通していたという。

 その謹慎期間中、林監督は実際に周囲からも完全な四面楚歌だったようだ。星稜の関係者は次のように明かす。

 「林監督に肩叩きをして辞任を促す人たちも数多くいたと聞く。学校側の一部有力者たちからも、かねてから激情型の性格の持ち主だった林監督を色眼鏡で見ていた傾向が強かったこともあり『これを機に別の監督へシフトしたほうがいいのではないか』との声が出ていた。

 一時は次期監督候補として1人の有力人物までも定まりかけていたが、そのプランは結局のところ学内事情もあって消滅してしまったそうだ。2カ月間の謹慎期間中、現部長が監督代行を務めて北信越大会優勝を飾るなど指揮官不在の状況下でも皮肉な形で一致団結。それもあって林監督は『私がいなくてもいいのではないか』と自問自答したそうだが、チームの選手たちからの呼びかけもあって『もう一度』という思いを抱き、戻る決意を固めたそうだ」 

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