ウォールストリート・ジャーナル3月1日付社説が、薄熙来の重慶市党書記解任は、党政治局常務委員会入りを目指して大衆に直接訴えかけたことが反発を買った為と見られるが、北京の指導部がリスクをとらず閉鎖的なままでは、開かれた市場経済や自己主張の高まる国民を治めていくことは難しいだろう、と論じています。
すなわち、太子党の薄熙来の解任事件が注目を集めている。薄は政治局常務委員会入りを目指して、重慶市民を動員、革命歌を歌わせて共産主義への熱意を煽るなどの禁じ手に出たが、こうした薄の大衆路線は、毛沢東を思い出させるとして反発を買ってしまった。温家宝首相も、「文化大革命のような歴史的悲劇が再び起きる可能性はまだある」と警告した。
党指導部は、文化大革命と民主主義を同じものと見なし、自らの権力に対する脅威と見ている。そして今の党は、マルクス主義イデオロギーではなく、安定、経済発展、中国の台頭を成果として強調することで、大衆の支持を取り付けている。
実際、温首相は政治改革を論ずる際、制度の改革を意味する「制度改革」という表現は避け、党組織の改良を意味するだけの「体制改革」と言う言葉に終始している。鄧小平が1980年代に政治の自由化に反対した際に使った言葉使いの変更を踏襲しているのだ。
問題は、このようにリスクを取ろうとしない指導部が、今後直面するはずの諸問題に対処できるか否かだろう。皮肉にも、薄なら、改革に向けて大衆の同意を取り付けることが出来る真の政治家になれたかも知れない。だからこそ、共産党は彼を怖れたのだろうが、その内、彼を追い出したことを悔やむことになるかもしれない。なぜなら、閉鎖的なままの指導部では、開かれた市場経済や自己主張を強めてきた民衆を治めていくのは難しいだろうからだ、と言っています。
◆ ◆ ◆
社説は、薄熙来を大衆の意見を重んじる民主的政治家の如く論じていますが、実際は、薄は自らの昇進の為に大衆を動員しただけのことであり、常務委員に昇格すれば民主化の推進力になったとは言い切れないでしょう。ただ、太子党の薄に代わって、太子党よりは大衆の利益に重点を置く共産主義青年団出身者が政治局常務委員会入りすれば、改革が進む可能性もありますが、薄の解任を否定的に考える根拠はそれほどないでしょう。
むしろこの社説で注目されるのは、北京の中枢部が民主主義と文化大革命の両方を怖れているという分析です。これは言い得て妙で、つまりは、今の中国では、中央の官僚的統制に反する政治活動は受け入れられないということです。
これは、中国共産党一党支配のためとか、文化大革命に対する反省のためとか、あるいは西側による和平演変に対抗するためとか以上に、中国数千年の官僚による中央集権支配の伝統の上に立つ体質のようなものであり、それだけに容易には変わらないのではないかと思われます。