2024年5月21日(火)

足立倫行のプレミアムエッセイ

2020年4月11日

原型となる記憶

 むろん作品のような体験があったわけではない。けれども完全な空想ではなく、門弟への手紙によれば原型となる記憶があった。

 幼少の頃、春の毛馬堤でよく遊んだという。往来する人々の中に、浪花の奉公先から帰省する着飾った娘たちがいた。都会のスターの噂話をしたり、故郷の兄弟の田舎っぽさを恥じたり、笑いさざめきながら実家へと帰る。

 そんな記憶が蘇り、「懐旧のやるかたなきよりうめき出たる実情」がこの作品なのだ。

 蕪村が『春風馬堤曲』を発表した安永6(1777)年2月、蕪村は病気がちであり、最愛の娘くの(16歳か17歳)を前年末に嫁がせたばかりでもあり、気落ちしていた。

 ただでさえ家に閉じこもりがちな老齢の日々。残りの命の尊さを再認識したはずの俳諧師は、おそらく、自分にとって何よりも大切だった幼年の日の故郷(と母)の思い出を、巣立って行った娘の若さ(青春)に託し、作品として表しておきたかったのだろう。

 その意味では、パックス・トクガワーナの老詩人は、老境の表現者が家ごもりの時期に何をするべきか、一つの指針を示してくれた。

 ただし、よくわからないこともある。

 代表作『春風馬堤曲』で「郷愁」を詠み、萩原朔太郎に「郷愁の詩人」と称された蕪村だが、故郷の毛馬村での生い立ちについては(幼少時の例の一文を除き)いっさい語っておらず、20歳頃に毛馬村を後にしてからただの一度も郷里を訪れた形跡がない。

 出生に関して公にできない秘密(私生児とか?)があったとされるが、不明だ。

 藪入り(正月)なのに、芹やタンポポが登場し、最後は「春深し」となる故郷。そこで迎えてくれる別次元の母の愛……。まさに幻の桃源郷。

 ちなみに、娘くのは作品発表の3カ月後、婚家と合わず出戻ってきた。

  
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