「木を見て森を見ず」ではなく
「森を見て大地を見ず」
この難題を解くキーワードは「木を見て森を見ず」ではなく「森を見て大地を見ず」ということではないでしょうか。日常の仕事をこなしている社員は、大半が自分の仕事だけの視野に陥りがちです。会社全体や会社が置かれている状況などを把握しないケースが散見されます。そこで研修などでは「みなさんは木を見て森を見ていない」などという話が出てきます。それはそれでいいのですが、木を見て森を見るだけでなく、それらが足を下ろしている大地を見落としてしまっている。そもそも木は大地に根を張らなければ育ちません。
「木を見て森を見ず」という視野を広げること、識見をより深めることだけに拘り続けてしまい、すべての根幹をなす大地を忘れていることは、先輩たちが苦労し議論を重ねて作り上げた人材育成の大地、学びの文化風土を痩せさせてしまっているともいえるでしょう。大地とは、職場で学び教える風土であり、それを支える信頼の土壌だと思います。私たちは大地に木を植え、水をやりながら森に作り上げ、多くの果実(成果)を実らせてきました。そこまでは問題ないのですが、あまりにも果実をより多く実らせること、それだけにとらわれた技術的な思考先行とその狙いである過度の期待が、いつしか大地の存在を忘れさせてしまったのではないかと思います。
大地を肥やすことは、おっしゃるように研修の意義を見つめ直し、そもそも論に戻って、どのような考え方が今の研修体制を作り上げてきたのかを再検証することでしょう。その上で時代の流れに対応した研修をすれば、そこには一本の太い芯が通る、ブレがない社員育成ができると思います。
――木や森は結果であって恵みをもたらすのは大地があるから。その大地を学びの風土で丹精込めて耕すことが必要だということですね。
中澤氏:そうです。耕すのは職場。信頼と対話する風土を再構築すること、肥やすための道具は教養です。それが今まさに求められているのです。しかし、それに気が付かない。成果だけ求めれば、いつかは行き詰ってしまうでしょう。大地からの栄養がなければ、成果は得られても、それが形だけで中身のないものであるかもしれません。ここまで掘り下げてくると、もはや研修教育担当者の手には負えないかもしれません。人事部門全体で取り組むというよりも会社全体の話になってきます。
人事システムそのものが
人を育てる仕組みである
――企業研修の重要性はわかりました。ただ、誰でも余計な仕事まで背負わされたくないでしょうから、あまり話を掘り下げていくと拒否反応がでてしまうのではないでしょうか。結局、自ら“自明の罠”にかかってしまうようなこともあるのではと考えてしまいますね。
中澤氏:それはわかります。現状でも忙しいのに難題を突き付けられるわけですから。しかし、そこに手を付けなければ前には進まない。企業研修に“自明の罠”があるのですから。自分たちが気づかなかった、知らずに忘れていたことなのですから、避けては通れません。ではどうすればよいのか。企業研修を「企業における人づくり」と再定義した上で2点について述べたいと思います。