2024年4月20日(土)

経済の常識 VS 政策の非常識

2012年10月2日

 これまでの公共事業は、一応、コスト・ベネフィット分析をしてベネフィットがコストを上回る公共事業だけをするということになっていた。もちろん、コストを最小限に、ベネフィットを最大限に見積もるのだから、無駄な公共事業は止まらなかった。

 しかし、それにしても、赤字空港や赤字高速道路を造れば批判され、今後の予算も削られる。しかし、国土強靭化のための公共事業では、赤字批判は難しい。

 30メートルを超える津波が来るかもしれないし、来ないかも知れない。これまで来ないからといって、将来来ないことにはならない。30メートルの津波に備えることが無駄か無駄でないか、誰にも分からない。人命に関わることで、私も無駄だなどというリスクを取りたくない。すると、国土強靭化のための公共事業なら、いくらでも公共事業をできることになる。また、できてしまった事業の効果を批判することも難しい。やれやれ、世の中に、知恵者はいるものだ。

 ただ、それほど災害のリスクに敏感な人が原発のリスクに敏感でないのは不思議である。あらゆるリスクに最大限に備えることなどできないのだから、原発も動かし、30メートルの津波対策も止めるというのなら、筋は通っている(これが正しいのか私には分からないが)。原発は動かし、30メートルの津波に負けない防潮堤を造るというのは矛盾している気がする。

 人命にかかわるリスクを持ち出せば、コスト・ベネフィット分析にかかわらず、公共事業を拡大できると、東日本大震災から学んだのだろう。ただし、莫大な公共事業に頼らなくても人命を犠牲にしない方法は多々ある。一番簡単なのは、危ないところには住まないことだ。安全にするために莫大な公共事業をするよりも、引っ越してもらう方が安上がりなところは多いのではないか。

子ども手当は票にならない?

 バラマキは悪いという人が多いが、年金で配るのも、子ども手当で配るのも、公共事業で配るのも皆バラマキである。バラマキを批判している人に、自分が良いと思うお金の配り方は賢い政府支出で、自分が悪いと思う配り方はバラマキであるという以外の理屈は何もないように思う。

 政治家が、次の選挙に当選することを考えるのは当たり前で、それが悪いと考えては、民主主義は成り立たない。すると、次の選挙のためには、人に配るのもコンクリートを通して人に配るのも同じことだから、なぜ民主党が「コンクリートから人へ」を止めて、「人からコンクリートへ」になるかが理解できない。


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