経済の常識 VS 政策の非常識

2012年6月4日

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 東日本大震災の被災地での高台移転プロジェクトにともない、被災者の土地を政府が買い取ることが議論されている。平野達男復興相は、「(大震災前の)7~8割(の価格)で買取りする方向になっている」と述べた。

 津波で半額以下に評価額が下がった土地を将来の開発も見込んで高めの価格で買い上げることで、高台移転など被災者の生活再建を進めるという(日本経済新聞2012年3月12日)。また、陸前高田市の戸羽太市長は「1000万円だった土地が300万円になれば家は建てられないと公営住宅の入居希望が増えるだろう。800万円なら高台に家を建てようとなる」と見通しを語ったという(同12年3月8日)。

 さて、個人財産が天災で毀損した場合、国がそれを補償する正当な理由はあるだろうか。一般的にはないと私は思う。日本の役人は、天災による個人財産を公費で補償することは憲法違反だと主張するという(塩崎賢明『住宅復興とコミュニティ』243頁、日本経済評論社)。落雷で家が焼けても政府は何もしてくれないから、それなりに正しい理屈ではある。

必要なのは「生業」の再建

 ただし、大震災のときには、政府は個人財産の復活を援助する理由があるだろう。政府が援助しなければ、地域のコミュニティや地場産業が崩壊してしまう。そこに水産加工業や養殖業があることによって、屈強な漁師だけでなく、様々な仕事に携わる多くの人々が生活できていた。

 そのような生業のコミュニティが破壊されてしまえば、どこでも所得の得られる働き盛りの人は別の地域に移ってしまい、残された人々は困窮に陥るか、政府の全面的支援で生活するしかなくなってしまう。コミュニティの復興を援助して、人々が自分の力で暮らしていくことができるようにする方が望ましいのではないか。

 だが、公費による買取りの目的が高台移転であるなら、話は違う。目的は、人々が自分の力で暮らしていくことのできるコミュニティを復興することだ。必要なのは港、加工場、関連施設、船、漁具、住宅だ。高台に住宅を作りさえすれば生業のコミュニティが復活する訳ではない。

 しかも、高台移転には大変なコストがかかる。宮城県の試算によると、高台移転は772ヘクタール、1万3900戸が対象で、総事業費は4250億円となるという(河北新報11年6月11日)。4250億円を1.39万戸で割ると、1戸当たり3057万円となる。4250億円を772ヘクタールで割ると、1平方メートル当たり5・5万円になる。772ヘクタールを1.39万戸で割ると、1戸当たり555平方メートルになる。1戸555平方メートルとは168坪の敷地(もちろん、道路や公園用地などで3割以上の土地を確保する必要があるので、1戸当たりの敷地は100坪程度となる)ということになる。これほどの巨額のコストをかける必要があるのだろうか。

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