視力を失い、柔道を再開
「目が見えなくてもいいんだ」
優勝して初めて自分を受け入れられた

視覚障害者柔道 初瀬勇輔さん(ユニバーサルスタイル) 【前篇】


大元よしき (たいげん・よしき)  ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

世界最高峰の障害者スポーツ大会『パラリンピック』を目指すアスリートたちの「乗り越えてきた壁」に焦点を当て、スポーツの価値や意義を問うと共に障害者アスリートを取り巻く環境について取材していく。

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「優勝して、初めて目が悪くなった自分を受け入れることができました。俺って目が見えなくてもいていいんだと思えたのです。それに『行動しなけりゃ何も変わらないんだ』ということがわかりました。それからは変わろう。自分から積極的に行動しようと思うようになっていったんです」

 平成17年11月27日、初瀬勇輔は「第20回全日本視覚障害者柔道大会」90キロ級に出場し、見事優勝を遂げた。それまで支えてくれていた仲間たちから優勝後に胴上げをされた。

 目が見えなくなり、もう一度柔道をしようと決断し、大会出場までの過程があり、優勝という結果が生まれた。視覚障害者となった初瀬にとって初めての成功体験だった。

空手から柔道へ
高3の時には県大会3位に

 机やイス、段差や階段を使うにも不自由さを見せない。また聞き手である私たちの表情を窺いながらインタビューに答えているかのような、細やかな気遣いまで感じる。「初瀬さんとお話ししていると目が不自由だということを忘れてしまいますね」という私の言葉に「よくそれ言われるんですよ、でも本当はたいへんなんですよ。あっははは!」という笑いが返ってきた。その骨太な明るさに誘われて、思わず私たちまで笑ってしまった。声に落着きがあり顔立ちも温和だが、肩幅の広さが並みではない。さすがに全日本視覚障害者柔道90kg級で7連覇(2005~2011年)を遂げ、2012年大会の81kg級王者である。

柔道をはじめたきっかけについて話す初瀬勇輔さん (撮影:編集部)

 初瀬勇輔。1980年長崎県に生まれる。

 「小さいころからあまり身体の大きな方ではなくて、幼稚園の頃はよく泣かされているような子でした」。性格的にもかなりおとなしかったようだ。しかし、小学校高学年になると友人が通っていた近くの空手道場に「俺も強くなりたい」と通い始めた。

 しかし、進学した中高一貫の青雲中学・高校には空手部がなく、しかたなく「似たような(?)」という理由から柔道部を選択。始めてみると自分は空手よりも柔道に向いていると感じ好きになっていった。しかし、顧問や周りからは「強い」と評価されていたにもかかわらず、試合ではなかなか勝てなかった。

 「当時練習と試合では、まったく動きが違うと言われていました。試合になると緊張し過ぎてしまうんです」

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「障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた」

著者

大元よしき(たいげん・よしき)

ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

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