失明のリスクを背負いながら
ラグビー部のキャプテンに

近藤正徳さん (アートライフ通所介護施設リハサービス西浦和)


大元よしき (たいげん・よしき)  ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

世界最高峰の障害者スポーツ大会『パラリンピック』を目指すアスリートたちの「乗り越えてきた壁」に焦点を当て、スポーツの価値や意義を問うと共に障害者アスリートを取り巻く環境について取材していく。

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時に雄々しく、時に神々しいまでの優美さを見せる富士が聳え、夏になればカエルの鳴き声がにぎやかな田園地帯に育った。

 小さいころから外で遊ぶことが好きで、5歳上の兄の影響を受け、小学生時代は毎日のようにサッカーに明け暮れていた。

 だが、学校行事の演劇鑑賞会の直後、周囲がざわつき立ち上がる中で、「あれ? 何か違うぞ。俺わからない」と自分だけが真っ暗闇の中に取り残されたような感じを受けた。

明るくなっても自分だけが見えていない

 視覚障害者柔道&ブラインドサッカー選手、近藤正徳。1990年、山梨県都留市に生まれる。

近藤正徳さん (撮影:編集部)

 「小学校4年生の時だと思うんです。演劇が終わってホールが明るくなり始めても、僕は周りが見えなくて立てなかったんです。みんなは移動し始めているんですが、僕だけが動けなかった。その時までみんなも同じように暗いところでは、何も見えないんだろうと思っていたのですが、自分だけだったことに初めて気づきました」

 自分だけが見えていない……。それはあまりにも衝撃的な現実だった。「俺を連れて行ってくれ」。仲間に手を引いてもらいながら暗闇の中をやっと歩いた。

 それまでは夜外出することが少なかったため、あまり自覚はなかった。体育館に暗幕を張って行うようなイベントでも「暗いな」という程度の不自由はあっても、それが当たり前だと思っていた。

仲間たちの自然な支えに救われた

 病名は「網膜色素変性症」と診断された。

 ―網膜色素変性症とは、カメラでいえばフィルムに相当する網膜という膜に異常をきたす遺伝性、進行性の病気である。―

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「障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた」

著者

大元よしき(たいげん・よしき)

ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

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