時に雄々しく、時に神々しいまでの優美さを見せる富士が聳え、夏になればカエルの鳴き声がにぎやかな田園地帯に育った。
小さいころから外で遊ぶことが好きで、5歳上の兄の影響を受け、小学生時代は毎日のようにサッカーに明け暮れていた。
だが、学校行事の演劇鑑賞会の直後、周囲がざわつき立ち上がる中で、「あれ? 何か違うぞ。俺わからない」と自分だけが真っ暗闇の中に取り残されたような感じを受けた。
明るくなっても自分だけが見えていない
視覚障害者柔道&ブラインドサッカー選手、近藤正徳。1990年、山梨県都留市に生まれる。
近藤正徳さん (撮影:編集部)
「小学校4年生の時だと思うんです。演劇が終わってホールが明るくなり始めても、僕は周りが見えなくて立てなかったんです。みんなは移動し始めているんですが、僕だけが動けなかった。その時までみんなも同じように暗いところでは、何も見えないんだろうと思っていたのですが、自分だけだったことに初めて気づきました」
自分だけが見えていない……。それはあまりにも衝撃的な現実だった。「俺を連れて行ってくれ」。仲間に手を引いてもらいながら暗闇の中をやっと歩いた。
それまでは夜外出することが少なかったため、あまり自覚はなかった。体育館に暗幕を張って行うようなイベントでも「暗いな」という程度の不自由はあっても、それが当たり前だと思っていた。
仲間たちの自然な支えに救われた
病名は「網膜色素変性症」と診断された。
―網膜色素変性症とは、カメラでいえばフィルムに相当する網膜という膜に異常をきたす遺伝性、進行性の病気である。―