2024年11月22日(金)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年5月7日

 当然のことながら両親のショックは大きかったが、小学4年生の近藤の心のダメージは察するにあまりある。だが、周囲にはそのショックを見せまいとした。

 「光を調節する機能が失われてしまうので、明るいところから暗いところに行くと見えなくなってしまうんです。その逆で暗いところから明るいところに行っても、すぐには調節ができなくて、少しの間ですが真っ暗に感じてしまうんです。これは生まれながらの病気だそうです」

 目のことは信用のおける数少ない友人にだけ伝えた。遊んでいても暗くなると「だいじょうぶ?」と心配して声を掛けてくれた。時間が遅くなったり、周りが暗いところでは、いつもその友人が傍にいた。近藤にとって幸いなことは、その友人と中学、高校共に同じ学校に通ったことである。

 「周囲はみんな僕の病気のことは知っていたと思います。理解してくれていた友人が小中高といっしょだったので、それが大きな支えになりました。『あいつに何かあったら助けてやってくれ』と周囲の仲間にも言ってくれていたんです。僕の知らないところで。だから一人になってしまうようなことはありませんでした。僕がショックを乗り越えられたのは、仲間たちの自然な支えだったと思います」

打倒名門!強豪ラグビー部に入部

 山梨県には県立日川高校という全国有数の名門ラグビーチームがある。

 その日川高校に真っ向から勝負を挑んでいたのが、近藤が進学した県立桂高校ラグビー部だ。顧問は無尽蔵の運動量と猛タックルで名を馳せた元ラグビー日本代表の梶原宏之である。近藤は桂高校に進学するやラグビー部に入部した。兄の影響もあったが、目の病気を承知の上で「ラグビーをやらないか」と梶原から誘われたことが決め手となった。

 「兄が高校時代に花園(全国大会)に出た時に応援に行きましたから、あの雰囲気を知ってるんです。目のことは気になりましたし、夜の練習も難しいかなと思いました。でもあの大観衆の中で自分も立ちたいと思ったんです」

 1年生は2、3年生とは別メニューなので、それほどハードではなかった。水汲みくらいなら暗くなってもひとりで出来た。誰がどこにいるのかもシルエットで判断した。しかし、学年が上がり練習内容が高度になると様々なことが障害となった。

 身長184cmの近藤のポジションはロックとフランカーだ。攻撃の拠点となる重要な役割を担うラインアウト(サッカーでいうスローイン)の練習では、ボールと照明が被らない場所に移動した。それでもスローワーが未熟な場合は、ボールを避けきれずに顔にぶつかることもあった。薄暗い雨の日や、晴れた日のグラウンドの照り返しでもボールを見失うことがあった。


新着記事

»もっと見る