近藤は日常的に勉強することが多く、ラグビー部のおかげで成長させてもらったと振り返っている。
ラグビー人生にノーサイド
春シーズンは60点差で日川高校に一蹴されていただけに、新聞やテレビをはじめ決勝戦の予想は大方「日川有利」という論調だった。春先からの戦績を比べればそれも致し方のないことだが、「やってやろうじゃないか。この前評判をひっくり返してやる」と近藤たちの腹の中は沸騰寸前だった。
2008年11月7日 山梨県予選の決勝戦。桂高校は好敵手日川高校に挑み、前半は僅差で折り返したものの最終スコアは「日川高校27-10桂高校」で敗れた。
「前半のムードは良かった。いけると思った。でも集中力が切れてしまったんでしょうね」
それは当時に近藤のラグビー人生にもノーサイドが訪れた瞬間である。
近藤が高校時代に獲得した個人タイトルが一つある。それは関東地区1都7県の上位チームが参加する「関東高校スーパーリーグ」におけるベストフィフティーンだ。
目に障害を持ちながらも強豪桂高校で2年からレギュラーを獲得し、3年ではキャプテンを務めた。その歩みの陰に人並み外れた努力があったことは想像に難くない。また、近藤キャプテンを支えたチームメイトも特筆すべき人物たちのはずだ。
ラグビーの代表的精神に「One for all, All for one」がある。ひとりはみんなのために、みんなはひとりのためにと訳されるが、これは人が社会の一員として生きていく上で必要な自立と自律、責任感、思いやりや利他の心を表している。打倒日川を掲げ、全国大会出場を目指しながらも、机上では決して学ぶことのできない教育的機会を部員に与えた、その判断も高く評価されるべきではないだろうか。
「資格を取るため」
目的意識をもって大学へ進学
「兄のように看護師になりたいと思ったのですが、目のことがあるので諦めました。でも、医療分野で人助けになるようなことは出来ないかと探していると、「あん摩マッサージや、鍼灸の資格を取れる大学がある」と進路指導の先生からお聞きしたんです」
いつくかの大学チームから誘われていた近藤は迷った。