「松山(愛媛県)にいないで東京に戻って来い。病院はこっちで手配しておくから」
嬉しかった。それは長渕剛からの電話だった。長渕はその言葉通り、脊髄損傷という大怪我を負った三浦浩を受け入れる体制を整えていた。電話越しに響く力強い言葉や、温かい心遣いが三浦に落ち込む間を与えなかった。
「あの長渕さんの電話には救われましたし、戻るキッカケもいただきました。家族に不安はありましたが、これからも長渕さんのライブには関わっていけるので、まずは自分が動けるようにならなくちゃと思いました」
20歳で会社員を辞め、音楽業界に入る時に掲げた目標が「好きな長渕剛のライブスタッフになること」だった。それを4年後に実現して以来、音を作ったり、チューニングをするなど、ギター全般の管理をするギターテクニシャンとして10年間ライブスタッフを務めてきた。その信頼関係は厚かった。
戻った三浦に掛けられた言葉は「とりあえず、体を動かせるようにしようぜ」だった。
「長渕剛のライブスタッフになる」
ギターテクニシャンとして活躍
障害者パワーリフティング48kg級 日本代表 三浦浩。
1964年東京都墨田区に生れる。
(提供:つなひろワールド)
小学生の頃は野球をやっていたが、中学、高校ではスポーツを離れアート部やブラスバンド部に所属していた。走るのが速かったために陸上部から誘われたが、頑なに断り続けた。その頃からギターを弾いて歌うことが好きだった。