視力を失ってからというもの、たとえば駅では「○○駅に行きたいのですが」と駅員に声を掛け、券売機で買ってもらわなければならなかった。しかし、そんな時は決まって「切符ならそちらで買えますよ」という答えが返ってきた。目が不自由だとは思われないからだ。
そこで、「すみません。目が悪いので買ってくれませんか」ともう一度お願いしなければならなかった。特に一人では何も出来なかった頃は、この「すみません」とお願いすることが多かった。学校に通うことも、病院に行くことも、部屋の掃除でさえも出来ずに、いつも「すみません」とお願いをしなければならなかった。
「すみませんと言って頭を下げなければ何も出来ませんでした。屈辱とは言わないまでも苦しかったですね。それが『全日本視覚障害者柔道大会』に優勝した瞬間に、目が悪くなってしまった自分を許せたし、今の自分の全てを受け入れることが出来ました。俺は目が見えていなくてもいいんだと思えたのです」
柔道がなければ社会と繋がれなかった
初瀬さんが「壁」を突き抜けた瞬間とは……
(撮影:編集部)
(撮影:編集部)
初瀬勇輔が壁を突き抜けた瞬間だ。真っ暗闇のなかで「もう一度柔道をやろう」と決断した勇気の一歩が自らの未来を拓いたのである。
「柔道がなければ社会と繋がれなかった。僕は柔道によって救われたと思っています」
両目の視力を失い、死にたいほどの喪失感に襲われながらも再び柔道に出合い、生きる希望を見出せた。そして優勝したことをキッカケに「行動しなけりゃ何も変わらないんだ」「これからは積極的に行動できる自分になるんだ」と第二の人生を歩む決意を固めた。