「いま自分にあるものは、
視力を失ってから得たものばかりだ」
「いろいろありましたが、ご縁があってテンプスタッフ㈱という人材派遣の大手に就職が決まりました。配属はサンクステンプ㈱という特例子会社で、社員約200名のうち180名くらいが障害者という会社です。私は4年半過ごすことになったのですが、ここでは知的障害や精神障害、僕みたいな視覚障害の方にも出会いました。様々な障害を持つ方々と触れ合うことによって、障害についての理解を深めていったのです」
初瀬は知的障害者で構成された部署に配属された。ここでは、それぞれの業務の管理をしたり、新しい仕事を作ったりする傍ら、視覚障害者柔道選手として、さらなる高みを目指す環境が与えられていったのである。
入社したその年にIBSA柔道世界大会2007サンパウロ(ブラジル)が開かれた。パラリンピックの出場権が掛かっている重要な大会だった。その枠を取りにいかなければならない。しかし、入社初年度にそれほどの休暇はなかった。そこで「特別に休暇をくれないか」と上司に相談したところ、「仕事として行ってくるように」と背中を押された。その後、北京パラリンピックの出場が決まった時には、グループ全体でバックアップしようという体制が出来上がった。
初瀬が先駆者となって、その後も障害者アスリートが入社するようになっていったのである。
「会社の中で自分が障害者アスリートとしての流れを作ることができたこと、また、知的障害のある方たちのマネージャーとして深く関わり、業務をサポートした経験が、独立後の今に繋がっていると思います」
目が不自由になったことによって、いわゆるいい大学に入って、法律家になって、出世して……というかつて描いていた人生ではなくなった。ただし、いま自分にあるものは、視力を失ってから得たものばかりだと初瀬は感謝する。
それは健常者の頃は周囲にいても気づかなかった、もしくは気づこうともしなかった障害を持つ人たちに目が向くようになったことである。
「相談相手がいない」「仕事の選択肢がない」「面接すら受けられない」など、身を持って感じた就労の難しさを少しでも改善したい。選択肢を提示してあげたい。相談相手になって、道は一つだけじゃないと示してあげたいと思うようになったことや、積極的になれたことも大きな変化だったと振り返る。