エントリーシートを100社に送り
面接までたどり着いたのはたったの2社
そんな初瀬は現在、視覚障害者柔道選手として2016年のパラリンピック・リオデジャネイロ大会出場に向け練習に励む傍ら、株式会社ユニバーサルスタイルを設立し代表取締役として、障害者の就労支援や社会進出の機会を創造する事業を始めている。
初瀬自身が視覚障害者でありながら、障害者の就労支援を行う会社を設立したキッカケは就職活動に苦労した自分の経験にあった。
「優勝する以前は就職できるなんて思っていませんでした。でも勝てたことで自信を得て、就職を考えるようになったのですが、どんな仕事に就けるのだろう……と。そこで大学の就職課に行くと障害者向けの合同説明会などを紹介してくれたのですが……。就職活動はとても苦労しました」
エントリーシートを100社くらいに送った。目の不自由な初瀬には、この作業自体がとてつもなく負担になった。だが、面接までたどり着いたのは、なんと、たったの2社だけである。
「中大法学部の学生で、これだけエントリーシートを送ったのに面接すら受けられないんだから、視覚障害者の就職は想像していた以上に難しい」と痛感した。
「視覚障害者の仕事といえば、すぐに「マッサージ師」と返ってくることが多かった。他に何の仕事があるのかまったく情報を持っていませんでした。そこで日本盲人会連合に行って、僕は大学に通っていて法律家を目指しているのですが、目が悪くなってしまったんですと相談したところ、すぐに「マッサージ師になりなさい」と言われました。
大学を卒業して、その後盲学校に通ってマッサージ師の資格をとったら、自分は何歳になるんだろう。その間どうやってメシを食えばいいのか、どんな生活をすればいいのかと考え込んでしまいました。知れば知るほど職業の選択肢の少なさに絶望に近いものを感じるようになってしまったのです」
周りの友人たちは、一流企業に就職が決まっていくのに、自分は面接すらも受けられない。同じ学部、同じ学科、同じゼミなのにどうして、こんなに扱われ方が違うんだ、「ここまで社会は障害者に厳しいのか」と愕然とした。
こうした背景が障害者の就労に関わる仕事がしたいと思うようになったキッカケである。