北京は惜しくも出場を逃すも
健常者とも渡り合う
三浦は2006年に障害者パワーリフティング大会に出場して以来、目標であるパラリンピックに向かってトップアスリートへの階段を駆け上がっていった。だが、最初のチャンスとなった2008年北京パラリンピックは、世界ランク10位になりながらも、惜しくも出場権を得ることができなかった。
その悔しさが三浦の進化を加速させ、障害者パワーリフティングでは負けなしの、48kg級、52kg級、56kg級の日本記録保持者となり、さらには脊髄損傷者も出場ができる、健常者の全日本実業団ベンチプレス選手権大会において、2011年、2012年のMVPを獲得した。これは体重にかかわらず、障害者と健常者の区別もなく、全出場選手を対象に、体重と持ち上げた重量から割り出される比率によって選出されたものである。
真っ向から勝負を挑んだ三浦が、腕づくで勝ち取ったMVPだ。
アスリートとしての環境を整え、ロンドンへ
2011年、ライブスタッフを務めてきた長渕剛のもとを離れ、バークレイズ証券に就職した。それまでは髪型も金髪モヒカンだったが、スーツを着て働く世界への転身だった。
「ライブの仕事はアーティストを守りながら、作っていく仕事なので、なかなか自分の融通の利く時間がありません。忙しい時期になると練習ができなくなるんです。ですが就職すれば、時間的なことや収入面で安心してスポーツができる環境なので決めました。長渕さんも、おまえなら大丈夫だろうと言ってくれましたし、ロンドンパラリンピック出場が決まったときは一緒に喜んでもくれました」
そして剛腕に磨きをかけて挑んだ2012年ロンドンパラリンピックで、三浦は48kg級に出場し9位の成績を残している。
取材当日、三浦は鍛えぬいた身体をひっそりとスーツに包み込んでいた。けっして平坦ではなかった道程も、越えてきた幾多の壁も、そのやわらかな笑顔に仕舞い込み、金融マンとしての誇りと自信に満ち溢れていた。
バークレイズ証券では、トレーダーや営業チームの支援業務に携っている。また、社内のダイバーシティコミッティ※(REACH)では、障害をテーマに、従業員に様々な理解を深めるワークショップを開催したり、会社による東北のボランティア活動にも参加している。
※性別や身体の状態などさまざまな背景を持つ人々がアイデアや才能を発揮できるような職場環境を作る取り組み
今後の目標は2020年まで現役選手として出場し、ウエイトトレーニングは年齢に関係なく記録が伸びるということを実証すること。また、自らが務める日本ディスエイブル・パワーリフティング連盟の事務局長として、今後も競技と連盟を支え、将来的には国際審判員となってパラリンピックで審判を務めることを目標に掲げている。
プロフィール
三浦浩(みうら ひろし)1964年東京都墨田区生れ
日本ディスエイブル・パワーリフティング連盟 理事、事務局長兼選手。東京都パワーリフティング協会理事。日本パワーリフティング協会 国際委員会 3級審判兼選手。
2002年コンサートの搬出中に簡易フォークリフトが倒れ支えきれず脊髄損傷になる。
2004年アテネパラリンピックで競技を知り、
2006年IPCパワーリフティング世界選手権大会に出場。
2008年北京パラリンピックでは日本代表を逃すも、2012年ロンドンパラリンピックでは、48kg級9位の成績を残した。
2011年バークレイズ入社
2012年ロンドンパラリンピック48kg級9位
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