2024年11月25日(月)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年2月8日

 実はそれ以前にリハビリの一環として、障害者スポーツとしては車いすバスケットボールと陸上競技をやった経験があった。けれど、バスケットボールは団体競技が性格に合わず、また陸上競技は個人種目であっても、あまり興味が湧かなかった。だが、アテネパラリンピックで見たパワーリフティングは、三浦の心に一気に火をつけたのである。

「らしさ」と「強さ」
『心機の早さ』

 桜島のライブが終わり、DVDの制作をしていたスタジオで「北京のパラリンピックを目指します」と長渕に言った。まだ始めてもいないのに、である……。

 三浦の「らしさ」と「強さ」とは、迷いや不安が生まれる前に決断する『心機の早さ』にあると思われる。会社員を辞めて『長渕剛のライブスタッフになる』と音楽業界にチャレンジしたときも、松山での事故を受け入れたときも。三浦の心は常に能動的に前を向くように出来ている。そして迷わずに一歩を踏み出す。

 それはきっと自信を原動力とする「思ったらすぐに行動するタイプ」という積極的な性格に加え、事故後、自分には何が出来て、何が出来ないのか、出来ないことはどのようなプロセスを経れば出来るようになるのか、と挑戦を繰り返すうちに前へ前へと向かう思考が培われていったからだと考えられる。

 「パワーリフティングは個人の競技ですが、重たいものを持つために補助の人がいてくれないと安心して出来ません。最終的には一人ですが、周りの手助けがないとちゃんとした練習が出来ない競技です。僕は400kgの重さで骨が折れているので、重たいものを持ち上げることに魅力を感じます。あえて重たいものへ向かっていき、それに勝ちたいという思いです」

 始めると決断した三浦は、障害の状態に合った指導に定評のある「トレーニングセンターサンプレイ」で1年間掛けて徹底的な肉体改造を行った。センターには様々な障害者を持った人たちが通っていた。

 はじめは30kg程度だったベンチプレスが、1年で100kgくらいまで上がるようになった。1日3時間、ほぼ毎日トレーニングセンターに通った成果だった。

 「あの頃は試合に出るためじゃなく、優勝するためにトレーニングをしていました。優勝できる記録になるまでは試合に出ないと誓って通っていたんです。まずは障害者の日本記録を超えることでした」

 当然ギターテクニシャンの頃とは見違えるほど身体が変わったはずだ。減量方法も他の競技のやり方を学び、取り入れ、試しながら自分なりの方法を見つけていった。

 ちなみに現在は、三浦自身がカロリー計算をして調理したものを摂っている。朝はプロテインだけで、食事は昼と夜の1日2食。それで年間を通して体重をコントロールしている。


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