2025年3月27日(木)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2025年3月24日

 2025年2月23日付ウォールストリート・ジャーナル紙は、ウクライナが停戦に当たって安全の保障を求める理由を歴史的経緯から説明する社説を掲載している。

ロシアのプーチン大統領(左)はウクライナのゼレンスキー大統領を「和平」を結ぶことができるのか(AP/アフロ )

 2月24日で、ロシアのウクライナ侵略から3年となる。先立つ週末、ロシアはこれまでで最大のドローン攻撃を行った。プーチン大統領は「和平」を望んでいるとトランプ大統領は述べたが、ウクライナはそうした約束についての苦い経験をしてきている。

 発端は1994年のブダペスト覚書である。ウクライナは、米国、英国、ロシアによる安全の保障と引き換えに核兵器を放棄した。ロシアは、ウクライナの主権、領土の一体性を尊重すること、経済的威圧を行わないことを約束したが、それらは破られ続けた。

 2003年、ロシアは、ウクライナ領のトゥズラ島付近に突堤を建設し始めた。この領域侵犯に対し、ウクライナは軍の派遣で応じた。この危機はクチマ大統領がプーチン大統領と妥協を図ることで沈静化したが、妥協の中身はロシアに有利なものであった。

 トゥズラ危機以降、ウクライナは西欧との政治的・経済的結びつきを深化させようと努めた。ロシアは、エネルギー供給による恐喝を行い、ウクライナとの貿易関係を武器にした。

 13年、ロシアは、ウクライナの輸出を国境で阻み、その一方でウクライナ政府への資金提供を申し出た。当時のヤヌコヴィッチ大統領はロシアの経済的威圧に屈し、13年に欧州連合(EU)との連合協定から撤退した。これは、ウクライナで大衆の抗議行動を起こし、ヤヌコヴィッチは14 年にロシアに逃亡した。

 ロシアは、この14年の事態に対し、軍隊を派遣し、クリミアとセヴァストーポリ港を占拠した。同年、ロシアは、親ロシアの分離派を武装させ、ウクライナ東部のドンバス地方で戦争を始め、東部の二つの州を占拠した。

 14年8月、イロヴァイスクを解放しようとしたウクライナ軍はロシア軍に包囲された。ウクライナ軍が安全に撤退できるように、プーチンが「人道的回廊」と呼んだものが設けられたが、ウクライナ兵が武器を置いた後、ロシア軍は攻撃し、退却中の360人の兵士を殺害した。

 これ以降、ロシアはウクライナ東部で攻勢を強めた。が、オバマ大統領は殺傷兵器の支援を拒み、米欧はウクライナに停戦交渉を求めた。米国とドイツの圧力で、ウクライナは14年後半にミンスクIの停戦に合意した。しかし、ミンスクIは続かず、ウクライナは15年にミンスクIIに合意した。しかし、ロシアは、ミンスクIIについてロシアは当事国ではないと主張し、ドンバス地方に重火器を集積し、22年の侵略の準備をした。

 ロシアの22年2月の侵攻は、ウクライナ政府の断首作戦を電撃的に行い、全土を掌握することが意図されていた。ゼレンスキー大統領は、米国からの国外離脱の申し出を拒絶し、キーウの包囲を打ち破った。その後ロシアは、民間施設を攻撃し、東部で消耗戦を行う現在の戦略に転じた。


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