今、プーチンは、和平について語っている。しかし、ロシアが守る合意は、力による合意とロシアの利益になる合意であり、ウクライナはどちらも受け入れられない。
ウクライナが欧州と米国から信頼できる安全の保障を求める理由はそこにある。今度、停戦を行ったとしても、それはミンスクIIIにすぎず、対ロシア制裁を緩めさせ、ロシアが軍備をさらに強化し、後に再侵略するための時間を与えることにしかならない。
* * *
ブダペスト覚書への2つの誤解
ロシア・ウクライナ戦争の停戦に向け、将来の安全の保障が大きな論点となっているが、その議論の前提として、過去の経緯を整理した社説である。今日、ウクライナとしてどうすべきかを考える際、「ブダペストの教訓」が語られる。
ソ連の解体を受けて、ウクライナは領土に核兵器が存する形で独立を果たしたが、その後、核兵器をロシアに移送することで非核化した。それに際し、94年12月に、ブダペストにおいて米国、英国、ロシアとの間で安全の保証についての文書に署名したのが「ブダペスト覚書」である。この社説は、ブダペスト覚書が、その後、ロシアによっていかにないがしろにされてきたかを時系列で示している。
ウクライナの非核化とブダペスト覚書を巡っては、不正確な理解が流布しているので、それについて触れておきたい。第一に、「ウクライナが非核化をせず、核兵器を少しでも残していたら、ロシアに侵略されるようなことはなかった」との指摘があるが、当時の状況を見誤っている。
当時、ウクライナに残されていたのは、米国を標的としていた大陸間弾道ミサイル(SS-19が130基、SS-24が 46基)であり、発射統制はモスクワからなされていた。仮に、これらの核兵器が移送ないし廃棄されなかったとしても、ウクライナにとっては「使えない」核兵器であったのだ。
第二に、「ブダペスト覚書で安全の保証を得たことで非核化したが、失敗だった」との指摘があるが、ウクライナがなぜ非核化したかの本質を見誤ってはいけない。ウクライナが非核化したのは、米国も、ロシアも、欧州もそれを求めたことにあり、ウクライナにとっては、非核化するか、国際社会で孤立するかの選択肢しかなかった。核不拡散条約(NPT)上も、非核兵器国として加盟するか、NPT に加盟せず、国際社会から非難を受け続けるかの二つの選択肢しかなかった。