絶望の果てに、ポジティブシンキングに辿り着き、人生を切り拓く全盲セーラーHIRO(ヒロ)さん。太平洋横断成功後は、生きる希望を見失った子どもたちにヨットの「体験学習」を行うのが夢だ。
「街角で白杖をついて歩いていると、手をかざしながら『祈らせてください。目が見えるようになりますように』と言われることがあります。そんなとき、僕は言うんです。見えるようになったら困るんです、って。僕はブラインドに自信を持って生きているから」
1966年、熊本県天草市生まれの46歳。岩本光弘(HIRO・ヒロ)さんは今夏、ヨットによる太平洋横断という長年の夢を叶える。米国西海岸のサンディエゴに家族を残し、3月から大阪の西九条に「単身赴任」。実際に横断に使うエオラス号で練習を重ねている。
6月上旬に大阪・北港を発ち、福島県いわき市の小名浜港を経由し、約2カ月かけてサンディエゴに向かう。元読売テレビのキャスター、辛坊治郎さんとダブルハンド(2人乗り)でチャレンジする。全盲セーラーによる太平洋横断は世界初だという。
4月中旬、北港での練習風景を見学した。見えているとしか思えない華麗なロープ捌きである。「見えないからこそ、余計な動きがないのでしょう」とは辛坊さんの解説だ。ヒロさんは頭の中にメンタルイメージを描いて、物の位置関係を立体的に把握する。普段の生活でも操船でも、頭の中のイメージに障害物や風向きなど、その時々の状況を織り込んで、ひとつひとつの動きを決めていくのだそうだ。
聞けば、ヒロさんがヨットに出会ったのは35歳。渡米も39歳という。セーラーも異国暮らしも遅咲きだ。想像もつかないような苦労があったのだろうが、ヒロさんはいつも笑顔でこう言う。「夢を語り、ポジティブに生きれば、協力してくれる人が必ず現れます」。
徐々に失った視力
一度は海への投身自殺も考えた
ヒロさんが視力を失ったのは16歳のとき。先天性の弱視だったが、活発な子どもだった。一つのことをやると止まらない。近所の子どもたちと遅くなるまで野球をした。魚釣りも大好きだった。地元の小学校も考えたが、両親が心配し、小学校から熊本県立盲学校に入った。家族と離ればなれの寮生活。長い休み明けは毎度泣いた。