2024年5月20日(月)

Wedge OPINION

2023年5月17日

 韓国側の前向きな姿勢に応えて、日本側も真摯に応えなければなるまい。

 私見をいわせてもらえば、5月12日の官僚同士の協議で終わりとせず、専門家を訪韓させ、韓国民と対話させるなどして安全性について丁寧に説明するというのも一方だ。そのうえで、いよいよ処理水放流を最終決定する段階になったなら、政府・与党の大物を特使として派遣し、誠意を尽くして説明、理解を得るべきだろう。

 根拠がない主張を繰り返してきた相手を理屈で説得するのは困難を伴うかもしれないが、そうした努力を放棄することは、せっかく前向きに転じてきた先方を再びかたくなにするのではないか。日本、米国、韓国は、北朝鮮との核・ミサイル交渉で、先方が譲歩した場合、こちらも見返りを与える「行動対行動」方式を原則としている。日韓関係にもそれを応用してはどうか。

関係改善と失望の繰り返し 

 過去の日韓関係を顧みれば、将来にわたる関係改善が実現するのではないかという期待が高まったと思えば、それが裏切られて日本側が失望することの繰り返しだった。

 1998年の金大中大統領(当時)の来日時に、「21世紀に向けたあらたなパートナーシップ構築」を謳った「日韓共同宣言」が発表された。首脳会談で、小渕恵三首相(同)は、過去の植民地支配を通じて、韓国に多大な損害と苦痛を与えたことに「痛切な反省と心からのお詫び」を明確に表明した。

 これに応えて大統領は、不幸な歴史を乗り越え、和解、友好・協力による未来志向の関係を築くことが「時代の要請」と強調した。両国の和解がついに実現したかにみえた。

 しかし、政権が代わって状況は一転する。

 後任大統領の廬武鉉氏は、2003年の就任当初こそ、「過去の足かせにとらわれるべきではない」として、建設的な関係を目指す姿勢を見せていたものの、05年になって、植民地支配問題に言及し始め、強硬路線に転じた。

 その2代あとの朴槿恵大統領は、日韓国交正常化を成し遂げた朴正煕元大統領の次女とあって、日本側はまたも期待を抱いた。しかし、朴氏は予想に反し、むしろ廬武鉉氏よりもかたくなな強硬路線を取り、日本の楽観ムードは一気にしぼんだ。親日であることへの攻撃を恐れたため、ことさら日本に強く出ざるをえなかったという事情もあったようだ。

 朴氏は慰安婦問題を根本解決するための交渉を要求。15年暮れの合意で日本側は元慰安婦を支援するために韓国政府が設立する財団へ10億円を拠出することが決まった。

 過去に、やはり元慰安婦救済のための「アジア女性基金」(1995年設立)に約6億円を拠出した経緯があるため、日本側は将来、蒸し返されないように、合意の中で「最終的、不可逆的に解決する」と念を押した。

 安倍晋三首相(当時)は、朴氏にはお詫びと反省の意を伝えたが、「約束を破れば韓国は終わる」として、これが最後であることを強調していた。この時、ソウルで合意への最終交渉にあたったのがだれあろう、当時外相だった岸田首相その人だ。

 そして、朴槿恵氏が弾劾有罪で失職したあと登場したのが文在寅前大統領。廬武鉉氏の元側近だけに、慰安婦合意をたちまち破棄し、そうした対日強硬政策に迎合するように韓国大法院(最高裁)でなされたのが元徴用工への賠償判決だった。

 文政権の後任としてちょうど1年前に登場した尹政権は、徴用工問題について、韓国政府傘下の財団が賠償を肩代わりする解決策を示した。これに日本側が同意したことが、今回の劇的な日韓和解につながった。


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