2024年5月20日(月)

「永田町政治」を考える

2023年12月21日

 リクルート社元会長、国会議員ら12人が贈収賄で起訴され、全員が有罪となったが、政治家の起訴、有罪は元官房長官と公明党議員のわずか2人だった。

 ごく一部の限られた人物らが特権を享受し、労せずした大金を手中にしたことに対する国民の反発が政治不信を広げ、野党の追及による国会審議停滞もあって、当時の竹下内閣は総辞職に追い込まれた。

 この事件を契機に、政治資金規正法が強化されただけでなく、あまりに多額の選挙費用を必要とするとして、衆院の中選挙区制に代わって現行制度の小選挙区比例代表並立制が導入された。政治家が汚いカネに手を伸ばさないようにと、政党助成金制度が導入されたのもこの時だった。

 事件の規模に比べると処罰された人数は少なかったが、政治改革の機運が盛り上がったことを考えれば、国民にとっては、もって瞑すべしだった。

田中角栄元首相に実刑判決、「ロッキード事件」

 戦後の贈収賄事件で衝撃的だったひとつに、1976年、わが国だけでなく全世界を揺るがしたロッキード事件がある。

 米国の航空機メーカー、ロッキード社が自社製の航空機を売り込むために世界各国で、王族、政治家を含む有力者に巨額の賄賂をばらまいた。日本では田中角栄元首相はじめベテラン国会議員らが逮捕・起訴された。

 ロッキード社は、代理人の丸紅を通じて元首相に、全日空が機種選定する際、自社の最新旅客機に決定するよう影響力を行使してほしいと依頼、見返りに5億円の賄賂を供与した。

 田中氏側は法廷で金銭の授受そのものを否定、法廷外でも、民間航空会社の機種選定に内閣総理大臣が介入する職務権限があるのかなど論争となったが、結果的に田中氏は一審で4年の実刑判決を受け、上告審の途中、1993年に死去した。

 当時の三木武夫首相が事件の真相解明に熱心であったことから、自民党内で、「三木氏ははしゃぎすぎ」(故椎名悦三郎・自民党副総裁)など不満、反発が広がった。自民党に対する逆風も強まり、三木内閣は結局、76年12月の総選挙で敗北、退陣に追い込まれた。

 事件の複雑な構図に加え、戦前からの右翼大物ら多彩な関係者の顔ぶれ、国会に喚問された証人らが偽証罪(議院証言法違反)で訴追されるなど、前例のない大規模な展開をみせ、いまでも語り継がれている。

昭電事件、造船疑獄では検察が手痛い敗北

 古い話になるが、検察と永田町の全面対決が激烈を極めたのは、終戦直後の混乱期におきた事件だった。

 48年の昭和電工事件では、復興金融公庫からの融資を受けるため、化学工業会社の昭和電工の社長が政財官界に賄賂をばらまき、大野伴睦自由党顧問(当時、後に自民党副総裁)、西尾末広副総理(当時、後に民主社会党委員長)、福田赳夫大蔵省主計局長(当時、後に首相)らが相次いで贈収賄容疑で逮捕、起訴された。

 関与を疑われた芦田均氏を首班とする内閣は、総辞職し、その芦田氏自身も逮捕された。

 裁判では昭電社長と経済安定本部総務長官が有罪となったほかは、すべて無罪。福田氏の判決文では、あろうことか、「検事の所論は鷺をカラスといいくるめる論法に似たもの・・・・」(『回顧九十年』福田赳夫、岩波書店、85ページ)と厳しく非難している。検察の全面敗北だが、判決で、検察をここまで批判するとは、いまでは考えられない。

 福田氏はよほどうれしかったようで、後々まで、この判決文をそらんじていたという。


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