【開業50周年記念】 My Memories of the 東海道新幹線

2014年10月16日

»著者プロフィール

 新幹線を出張などのビジネス用途に利用している人は多いだろう。

 元アメリカ松下電器会長の岩谷英昭さんは、高度経済成長期の1970年代に、新幹線の大胆な活用法を思いついた。「日本の優れたテクノロジーをプレゼンテーションする場」として新幹線を利用したのだ。

「東海道新幹線に乗せることで、日本製品への悪印象を覆せた」と語る岩谷英昭さん。手に持っているのは、苦楽を共にした製品である「National Hi-Top」 (写真・小平尚典)

 当時まだ20代だった岩谷さんは、松下電器産業(現パナソニック)の電池事業部に配属され、乾電池をアメリカに売り込む仕事を担当していた。松下にとって乾電池は、創業者・松下幸之助が基幹と位置づけた事業の1つだった。戦後すぐの昭和20年代にアメリカに視察旅行に訪れた幸之助が、乾電池は世界に打って出られると判断。原材料から部品まで、完全に自社で開発した。「70年代には、松下の乾電池は間違いなく世界トップの製品になっていました」と岩谷さんは振り返る。

 ところが、その世界最高の乾電池が、アメリカでは簡単には売れない。その頃はまだ、日本製品に対して「安かろう、悪かろう」という偏見が残っていたからである。「確かに戦後しばらくは、日本の企業は何でも売らなきゃいけないというので、粗悪な製品を輸出していました。60年代から、ラジオやオーディオ製品では日本製の優秀さが認められましたが、乾電池の品質が知られるには、もう少し時間がかかりましたね」

関連記事

  • PR
  • 新着記事

    »もっと見る