佐藤忠男の映画人国記

2014年10月2日

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 栃木県からはなぜかコメディアンが多く出ている。古いところでまず小倉繁(1904~58年)。宇都宮市の出身で無声映画時代の松竹蒲田撮影所の名物だったドタバタ喜劇で、和製チャップリン調の演技で笑わせた。「子宝騒動」(1935年)という傑作が残っているし、近年再評価されている成瀬巳喜男(みきお)の「銀座化粧」(1951年)でも飲み逃げ常習のバアの客を好演している。

 次いで沢村いき雄(1905~75年)。昭和初期に都会的な喜劇で鳴らした新宿ムーラン・ルージュの幹部俳優で、映画では黒澤明の「用心棒」(1961年)の要所要所で拍子木を持って現れて臆病なしぐさで笑わせる狂言回し役と言ったら思い出してもらえるだろう。他にも黒澤作品では重厚な芝居の合間の息ぬきのギャグに重宝されている。

 関敬六(1928~2006年)は足利市出身。若い頃から軽演劇界で渥美清とコンビを組んで熱演していた縁で、「男はつらいよ」シリーズで寅さんの相棒のテキ屋を人の好さそうな笑顔でよく演じた。

 東京ぼん太(1939~86年)も宇都宮市出身。漫談や声帯模写の芸人から栃木なまりで言った「夢もチボーもないね」という投げゼリフが受けて売り出した。映画では「ニューヨーク帰りの田舎ッぺ」(1967年)などの主演作がある。

 ガッツ石松は上都賀(かみつが)郡清洲村(現鹿沼市)出身。ボクサーとして世界ライト級チャンピオンになり引退後は俳優、タレントになった。役柄の幅は広く孤独なギャング役なども多いが、巧まずして人柄からにじみ出るコミカルな味わいがとくにいい。ボクシングへの情熱を盛り込んだ「カンバック」(1990年)という映画では監督もやっている。

 春川ますみも宇都宮市出身。ヌードショーの名門だった日劇ミュージックホールで豊満な体と愛嬌のあるダンサーとして人気者になり、女優に転身して多くの映画に出た。とくに今村昌平監督の代表作のひとつに数えられる「赤い殺意」(1964年)で主役を好演したことによって日本映画史上の不滅の存在になったと言っても言い過ぎではないだろう。少々愚鈍で卑屈という感じのサラリーマンの主婦の役だが、これがある日、家にしのび込んできた男にレイプされたことを契機にして不思議に図太い女に変わってゆくという物語である。レイプのあと、自殺を決意するが、その前にまずメシを食おうと考えるあたりから意表をついたおかしさが出てくる。全身にみなぎる楽天性が深刻な状況を変え、いつのまにか男たちをみんな尻に敷いてしまっている。普通の喜劇ではないが喜劇的なるものの精髄がここにある。

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