2024年4月25日(木)

対談

2014年10月6日

木下:高層にしなくてもいいものを高層にしてしまう流れが未だに地方にもあって、地方都市にはタワーマンションなんかも増えている。売れるのは分かりますが、何十年後にあれどうするんだろう? と思いますね。田んぼのどまんなかにタワーマンションがあったりして、目を疑うこともあります。

飯田:高層マンションは維持費だけでもとんでもない額になります。その維持費を払ってもペイするくらい地価が高いならともかく、そうでないなら無用の長物ですよ。

木下:どの程度の密度があれば、住むために必要な機能がその地域で保持されるのか、今の段階ではよくわからないというのが正直なところだと思うんです。

 DIDをある程度連続させれば、その環境下なら人が移動しながら生活できて、機能が保持される。密度を上げてサービス効率が向上するから、財政負担も大きくならず、一定以上のサービスを受けることができる。これが無理のない着地点だと僕も思います。

 いまコンパクトシティを議論している人たちには、「負担によって受益がある」という発想があまり感じられないんです。「みんなが安心して歩けるような街を」といったイメージ先行の議論ばかりで、実際に地方に行けば猛烈な車社会だったりするのに、何を見て何を言おうとしているのかがわかりません。LRT(次世代型路面電車)待望論も相変わらず多いのですが、土木事業をやればコンパクトシティができるとでも思っているのかと言いたくなります。「コンパクトな路面電車で市街地と郊外をつなぐんです!」ってそれ、ちっともコンパクトじゃない(笑)。

飯田:コンパクトなはずがどんどんスケールが上がっていく(笑)。

木下:人のいる街中どうしをつなぐのであれば、まだ意義はわかるのですが。路面電車を整備しながらも、さらに「自動車を使う人にも配慮した設計を」とか言い出してしまうし。

飯田:何にでも配慮しますよね(笑)。そもそもコンパクトシティは選択と集中の話なんですから、平等なわけがない。というかどの地域にも平等ならそれはコンパクトではないですよ。

木下:そんなことしたら、市民の負担は膨大に膨れ上がります。結局は生活環境が急に破綻しないためには致し方ない集約という話であるわけです。あれもこれも配慮なんてできないのに、それをいうと市長などは選挙に負けてしまうとかそういう当座の話になってしまう。せめて選挙に受かったらやって欲しいですが、受かったら受かったで、結局は議会には郊外出身者議員も多数いて、全てに配慮した話に丸め込まれてしまう。数年もしたら財政負担がとんでもないことになるのは目に見えています。けど、地方の方々には、未だに最後は国がどうにかしてくれると信じている方も少なくありません。


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