世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2014年11月14日

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 ワシントンポスト紙コラムニストのイグネイシャスが、10月2日付同紙論説で、シリアの穏健派反乱軍への支援の失敗は、思惑の異なる支援国が、気ままに諜報機関をシリアで活動させたことが大きな原因であった、と述べています。

 すなわち、2011年のアサド大統領への反乱開始当初から、シリアは、地域の主要国を巻き込んだ代理戦争の場であった。トルコ、サウジ、カタールは、いずれもアサド体制を倒したかったが、互いに地域のライバルでもあった。3国は、それぞれ、スンニ派反乱軍に資金と武器を供給したが、最終的には、それらは過激派の手に渡った。

 2013年には、米、サウジ、ヨルダンは、CIAが支援するヨルダンのキャンプで穏健派反乱軍に訓練と武器を提供しようとしたが、シリアに散在する1000近い部隊を統一できず、混乱を生ぜしめ、自由シリア軍の評判を落とすことになった。

 シリアの混沌とした状況を悪化させたのは、シリアで諜報部隊を気ままに行動させた外国である。シリアは、どのようにして、対立する各国の諜報部隊の「コックピット」になったのだろうか。

 シリアの反乱軍に武器と訓練を提供する最初の取り組みは、2年以上前にイスタンブールに設置された、「軍事作戦センター」である。カタール人の工作員が指導的役割を果たし、トルコとサウジの諜報部の高官たちが共に働いた。

 トルコ人の諜報員とカタール人の諜報員は、より攻撃的なイスラム主義の兵士を支援し始め、穏健なイスラム主義の部隊に送られた武器と資金が、Jabhat al-NusraやIS(イスラム国)のようなテロリストグループの手に渡るのを黙認した。こうしたグループは強大化し、自由シリア軍は日に日に弱体化した。

 サウジの努力は、2013年の終わりごろまで、当時のサウジの諜報の長であったBandar王子によって続けられた。Bandarは熱心だったが、混乱を鎮めることができなかったので、今年2月に、サウジはBandarを交代させ、Mohammed bin Nayef 内相にシリアへの対処の監督を任せた。混乱は小さくなったが、Jabhat al-Nusra とISをチェックする以上の効果は上がらなかった。

 北部戦線での主導権を握るべく、トルコは、アンカラに“MOM”として知られる作戦センターを設置した。MOMは反乱軍の行動を調整しようとしてはいるが、命令系統の構造は弱い。

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