家庭菜園というルーティンが
生きる動機付けとなっている
「老後のルーティンをすることが田舎暮らしの根幹にある。明日はあれを収穫しよう、あそこの雑草を抜かなあかんな、と考えながら眠りにつき、朝5時に起きる。畑が生きる動機付けになっているし、泥臭いロマンがある」。野菜の作付けノートをめくりながら、移住生活を振り返る表情には、充実感が満ち溢れている。
奥田正廣さん(69)、京子さん(65)夫婦は、大阪のベッドタウン枚方市から琵琶湖の東に位置する滋賀県東近江市に移住し、今年で丸10年が経った。
定年を翌年に控え、夫婦で老後の人生について考えたとき、「朝起きて何かやることが欲しい」という思いが一番にあった。当時、仕事の傍ら家庭菜園に取り組んでいたが、「借地だと本格的に土づくりもできない」と限界を感じていた。「自分の土地で思う存分野菜を育てたい」思いと相まって、田舎への移住計画が一気に動き出した。
というのも、本格的に野菜をつくるとなると、土づくりだけでも3年はかかる。「体力的には70歳までならいける」という自信はあったが、65歳まで働いてからだと時間が足りない。タイムリミットが迫っていたのだ。
週末になると農地付きの物件を探しに和歌山や三重に夫婦で足を運び、最終的に行き着いたのが夫婦の出身県であり、のどかな田園風景が広がるこの地だった。大阪の自宅は「置いておくとどっちつかずになる」と売却した。その資金で築100年の古民家と100坪の農地を手に入れ、計画から1年で田舎暮らしが始まった。
覚悟はしていたが、都会と田舎の暮らしでは勝手が違った。電車は1時間に1本しかなく、街に出るにも一苦労だ。スーパーも車で20~30分かかるため、肉や魚は10日分を買い溜める。古民家には猫やネズミ、体長2㍍の大蛇までが住みついていた。京子さんは納得済みで移住したものの、「最初の頃はもっとフォローしてよ、という気持ちも正直あった」。だが、「不満を言っても仕方ない、お互い機嫌良く暮らそう」と吹っ切れてから、田舎暮らしにどっぷりと浸っていった。
140軒ほどからなる集落では、20近くの世帯からなる組を中心にして自治会活動が行われている。自治会費は大阪の月400円から10倍以上に跳ね上がった。しかも、会費だけ納めて終わりではなく、地域活動を支えるのは住民一人ひとり。神社やグランドの草刈り、祭りの運営……。「地域に馴染むために行事には何でも積極的に参加した」と移住当時を振り返る。ご近所との交流を重ねながら、今では収穫した野菜を交換したり、肥料用のもみ殻を分けて貰ったりと、つながりができ、地域に愛着も湧いてきたという。
その一方で、今でも月1~2回の頻度で、車で2時間半かけて大阪までの通院を続けている。歯の治療が主目的ではあるが、慣れ親しんだ街で買い物をし、自らが育てた野菜を昔のご近所に届けて回ることも大きな楽しみになっている。
しかし、移住には寂しさもある。「今のコミュニティに完全には溶け込めない。古い友人にも会いたいけど、空白期間ができて段々と会えなくなってきた」と正廣さんは胸の内を明かす。時が経過するにつれ、新旧のコミュニティにおいて、埋めることができない隔たりに直面するようだ。ただ、今の生活の充実と比べれば、「そんな寂しさなんか大した問題ではない」と言い切る。
平均寿命の80年で人生設計する正廣さんにとって、移住生活は間もなく折り返し地点を迎える。「これからはゆっくりと畑をやる」と体力の衰えを受け入れる準備はできているが、最近その先を案じることが多くなった。「妻に先立たれても自分は大丈夫だが、その逆になると、車を運転できない妻は一人で生きていけるだろうか」。重たい問いに向き合いながら、今日もルーティンに精を出す。