2024年11月22日(金)

ひととき特集

2009年10月21日

国見町赤根の温泉宿「あかねの郷」前の句碑を背に山頭火談義をする、著者と「くにさき山頭火の会」会長の園部正次氏

 山頭火は山口県防府(ほうふ)市の大地主の子(種田正一)として誕生し、9歳のとき、母フサが自宅の釣瓶(つるべ)井戸に投身自殺した。引きあげられた母の死体を見た山頭火は強い衝撃を受けた。のち早稲田大学文学部に入学したが中退し、ツルゲーネフの小説を翻訳して発表したのが28歳である。33歳のとき、種田家は破産して一家離散した。

 母の自殺による衝撃が終生いえることのない傷となって、その後の山頭火の放浪に結びつくことになる。

 アメリカで1番親しまれている俳人は芭蕉ではなく山頭火であり、「まつすぐな道でさみしい」は「This straight road, full of loneliness」と訳され、アメリカの俳人はこの句を暗唱している。アメリカ人は「フル・オブ・ロンリネス」のフレーズが好きで、やたらとこれを使いたがる。山頭火は「淋しい俳人」としてアメリカにまで浸透してしまった。

 山頭火の句には、人間の根源的な孤独が透徹しており、一見なんの変哲もない風景描写のなかに淋しさを感じさせてしまう。そこに山頭火の力業があった。

保養所「湯の里 渓泉」前の句碑

 行乞とはを乞行(こつじき)を行することである。山頭火が出家得度して行乞の旅に出たのは43歳で、57歳で没するまでの14年間を漂泊行乞で過ごした。国東半島へ来たのは、出家得度して5年後のことである。母の位牌(いはい)を肌身離さず、母を回向(えこう)する筑紫三十三観音霊場巡りの旅であった。

 11月26日に赤根の里へ泊り、師の荻原井泉水(せいせんすい)宛に「昨夜は山家に泊りまして、ひとりしんみりしました。しぐれる岩山を4つ越えました、両子寺(ふたごじ)、天然寺(てんねんじ)、椿堂(つばきどう)、どれも岩山の景勝を占めております」と手紙を送っている。

 国東半島は奈良時代から平安時代にかけて6つの郷が置かれ、六郷満山(ろくごうまんざん)と呼ばれる寺院群があった。六郷とは古代の国東半島にあった安芸(あき)、武蔵、国東、伊美(いみ)、来縄(くなわ)、田染(たしぶ)の6つの郷で、宇佐神宮と弥勒寺(みろくじ)の荘園があった。三十三寺の霊場があり、コンパクトに山が深い。

 <第2回に続く>

著者:嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)
1942年静岡県生まれ。作家、エッセイスト。雑誌編集者を経て、執筆活動に入る。88年『素人包丁記』により講談社エッセイ賞を、2000年『芭蕉の誘惑』(後に『芭蕉紀行』と改題。新潮社)によりJTB紀行文学大賞をを受賞。06年、『悪党芭蕉』(新潮社)により泉鏡花文学賞と読売文学賞受賞。近著『旅するノラ猫』(筑摩書房)、『下り坂繁昌記』(新講社)など著書多数。旅と温泉を愛し、1年のうち8ヵ月は国内外を旅行する。
カメラマン:船尾修(ふなお・おさむ)
1960年兵庫県神戸市生まれ。筑波大学生物学類卒業。出版社勤務を経て、さまざまなアルバイトをしながら世界を放浪。そのときに写真と出会う。アジア・アフリカを主なフィールドに、【地球と人間の関係性】をテーマに撮影を続けている。2000年から【日本人の心の原郷】を映像化するために大分県の国東半島に移住。主な著作に、『アフリカ 豊饒と混沌の大陸(全2巻)』『UJAMAA』(共に山と渓谷社刊)などがある。大分県立芸術文化短期大学非常勤講師。第9回さがみはら写真新人賞受賞。オフィシャルサイト→http://www.funaoosamu.com/

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