国東半島は九州の東北部(右上)につきだした半島で、ぶん殴られて頭にできたコブみたいだ。地図で見ると人間の脳の形をしている。中心に標高721メートルの両子山(ふたごさん)があり、山頂から放射状にいくつもの谷がのびている。
国東半島最大級と言われる両子寺(ふたごじ)の阿吽(あうん)仁王像の大きな背を見て、メモを取りながら石段を降りる筆者
拡大画像表示
拡大画像表示
傾斜のゆるやかな円錐(えんすい)形の半島は、古代山岳仏教の修行の地であった。火山岩をくりぬいた磨崖仏(まがいぶつ)や寺院、野仏がそこかしこに点在している。火山岩でできた東西30キロ、南北40キロの円形の半島である。
昭和4(1929)年、47歳の山頭火は国東半島を行乞した。一笠一丈(いちりゅういちじょう)を手にして、破れた僧衣をまとっての漂泊であった。昭和4年といえば、ウォール街で株式が大暴落して、世界恐慌の発端となった年である。
時代が音をたてて壊れていくなか、「さすらいの俳人」山頭火は、火山岩の脳の奥に分け入った。
山頭火の句で覚えているのは、
赤根の里にある阿弥陀寺前の句碑
分け入つても分け入つても青い山 (大正5年)
まつすぐな道でさみしい (昭和2~3年)
酔うてこほろぎと寝てゐたよ (昭和5年)
自嘲
うしろすがたのしぐれてゆくか (昭和6年)
鉄鉢(てっぱち)の中へも霰(あられ) (昭和6年)
母の47回忌
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする (昭和3年)
母の第49回忌
たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと (昭和5年)
あたりである。