ひととき特集

2009年10月21日

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嵐山光三郎 (あらしやま・こうざぶろう)

1942年静岡県生まれ。作家、エッセイスト。雑誌編集者を経て、執筆活動に入る。88年『素人包丁記』により講談社エッセイ賞を、2000年『芭蕉の誘惑』(後に『芭蕉紀行』と改題。新潮社)によりJTB紀行文学大賞をを受賞。06年、『悪党芭蕉』(新潮社)により泉鏡花文学賞と読売文学賞受賞。近著『旅するノラ猫』(筑摩書房)、『下り坂繁昌記』(新講社)など著書多数。旅と温泉を愛し、1年のうち8ヵ月は国内外を旅行する。

 国東半島は九州の東北部(右上)につきだした半島で、ぶん殴られて頭にできたコブみたいだ。地図で見ると人間の脳の形をしている。中心に標高721メートルの両子山(ふたごさん)があり、山頂から放射状にいくつもの谷がのびている。

国東半島最大級と言われる両子寺(ふたごじ)の阿吽(あうん)仁王像の大きな背を見て、メモを取りながら石段を降りる筆者
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 傾斜のゆるやかな円錐(えんすい)形の半島は、古代山岳仏教の修行の地であった。火山岩をくりぬいた磨崖仏(まがいぶつ)や寺院、野仏がそこかしこに点在している。火山岩でできた東西30キロ、南北40キロの円形の半島である。

 昭和4(1929)年、47歳の山頭火は国東半島を行乞した。一笠一丈(いちりゅういちじょう)を手にして、破れた僧衣をまとっての漂泊であった。昭和4年といえば、ウォール街で株式が大暴落して、世界恐慌の発端となった年である。

 時代が音をたてて壊れていくなか、「さすらいの俳人」山頭火は、火山岩の脳の奥に分け入った。

 山頭火の句で覚えているのは、

赤根の里にある阿弥陀寺前の句碑

分け入つても分け入つても青い山 (大正5年)

まつすぐな道でさみしい (昭和2~3年)

酔うてこほろぎと寝てゐたよ (昭和5年)

自嘲
うしろすがたのしぐれてゆくか (昭和6年)

鉄鉢(てっぱち)の中へも霰(あられ) (昭和6年)

母の47回忌
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする (昭和3年)

母の第49回忌
たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと (昭和5年)

 あたりである。

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