2024年4月18日(木)

ひととき特集

2009年10月27日

 湯平温泉は、花合野(かごの)川沿いにたたずむ山の湯で、川にせり出すように旅館がひしめいている。山頭火は昭和5年11月にやってきて、「此温泉はほんとうに気にいった。山もよく水もよい、湯は勿論よい、宿もよい」と『行乞記』に書き残している。

山頭火気に入りの花合野川沿いの湯平温泉街。写真奥が筆者宿泊の「志美津旅館」

あんたのこと考へつゞけて歩きつゞけて

秋風の旅人になりきつている

夕しぐれいつまでも牛が鳴いて

つかれもなやみもあつい湯にずんぶり

 など16句を詠んでいる。温泉街は花合野川沿いに細長くのびて500メートルにわたってつづく。享保年間に、病魔退治を祈伏(しゃくふく)して造った石畳の道である。山頭火が泊まった大分屋(いまはない)の前に、

しぐるゝや人のなさけに涙ぐむ

 の句碑があった。温泉街の川沿いに、無人の山頭火ミュージアム「時雨館」(入館料100円)があり、靴をぬいで小さな階段を上ると6畳1間に机と座布団ふたつが置かれていた。

 ゆるゆると湯につかると、疲れた筋肉がほぐれてくる。軽自動車で移動しても、国東の旅は、急所で石段を登ることが多い。

 翌朝は、だらだらと朝湯につかりたいところだが、夢枕に立った不動明王に喝を入れられて、あわただしく宇佐神宮へ向かった。 

 天台宗を開いた最澄は、遣唐使として唐へ渡る直前(延暦23年)と、帰国した翌年に宇佐神宮に参拝している。六郷満山の寺院群は宇佐神宮と弥勒寺の荘園があった地区である。奇岩と霊窟が多い国東半島は、奈良時代は山岳修行の場として開かれ、平安後期に天台宗の傘下となった。国東の寺院開祖としてそこかしこで名が出る仁聞菩薩(にんもんぼさつ)は、宇佐八幡菩薩の化身である。

 宇佐神宮は六郷満山の本社である。イヌイガシのおおう参道を歩いて下宮前から若宮坂を登り、宇佐鳥居をくぐると、上宮本殿(国宝)に至る。やたらと広い。

 宇佐神宮を拝して、熊野磨崖仏へ向かいながら、足のふくらはぎをゴリゴリとこすった。

 これより石段を登らなくてはいけない。


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