湯平温泉は、花合野(かごの)川沿いにたたずむ山の湯で、川にせり出すように旅館がひしめいている。山頭火は昭和5年11月にやってきて、「此温泉はほんとうに気にいった。山もよく水もよい、湯は勿論よい、宿もよい」と『行乞記』に書き残している。
あんたのこと考へつゞけて歩きつゞけて
秋風の旅人になりきつている
夕しぐれいつまでも牛が鳴いて
つかれもなやみもあつい湯にずんぶり
など16句を詠んでいる。温泉街は花合野川沿いに細長くのびて500メートルにわたってつづく。享保年間に、病魔退治を祈伏(しゃくふく)して造った石畳の道である。山頭火が泊まった大分屋(いまはない)の前に、
しぐるゝや人のなさけに涙ぐむ
の句碑があった。温泉街の川沿いに、無人の山頭火ミュージアム「時雨館」(入館料100円)があり、靴をぬいで小さな階段を上ると6畳1間に机と座布団ふたつが置かれていた。
ゆるゆると湯につかると、疲れた筋肉がほぐれてくる。軽自動車で移動しても、国東の旅は、急所で石段を登ることが多い。
翌朝は、だらだらと朝湯につかりたいところだが、夢枕に立った不動明王に喝を入れられて、あわただしく宇佐神宮へ向かった。
天台宗を開いた最澄は、遣唐使として唐へ渡る直前(延暦23年)と、帰国した翌年に宇佐神宮に参拝している。六郷満山の寺院群は宇佐神宮と弥勒寺の荘園があった地区である。奇岩と霊窟が多い国東半島は、奈良時代は山岳修行の場として開かれ、平安後期に天台宗の傘下となった。国東の寺院開祖としてそこかしこで名が出る仁聞菩薩(にんもんぼさつ)は、宇佐八幡菩薩の化身である。
宇佐神宮は六郷満山の本社である。イヌイガシのおおう参道を歩いて下宮前から若宮坂を登り、宇佐鳥居をくぐると、上宮本殿(国宝)に至る。やたらと広い。
宇佐神宮を拝して、熊野磨崖仏へ向かいながら、足のふくらはぎをゴリゴリとこすった。
これより石段を登らなくてはいけない。