磨崖仏の坂を降りれば、中世の荘園があった田染荘(たしぶのしょう)に出る。周囲を岩山に囲まれた谷間にタンボがある。畦が曲線を描いている。そそりたつ岩山のはざまに、遥か昔の水田風景が残っている。山麓の集落、曲った道の上にまっさらな空がある。
国東半島は「陸の孤島」と呼ばれてきた。だから寺も山も水田も荒らされていない。国東は、日本の奇跡といってよい。この地を旅すれば、失われていた風景がよみがえり、原始の日本人が持っていた魂が、深く静かに息づいている。山頭火もまた、精神のありどころを求めてこの地を旅したのであろう。
富貴寺(ふきじ)の山門には虎猫が眠っていた。近づいても逃げようとしない。山門の不動明王を門番がわりとして、寺の主人のような顔をして悠然と寝ころんでいる。「りんご」という名の8歳の雌猫だという。
山門の奥に国宝の木造阿弥陀堂があり、石塔、石仏、石灯籠に囲まれている。中尊寺金色堂、平等院鳳凰堂とともに日本三大阿弥陀堂のひとつに数えられているのに、「コクホウ」という顔をしていない。昭和30年ごろは、近所の子どもたちの遊び場だったという。
阿弥陀堂の床に座っていると、突然、観光バスの一団が入ってきて、懐中電灯で御本尊の阿弥陀如来像(重文)と堂内壁画(重文)を照らして見ている。
フキンシンモノメと睨みつけたら、なに、堂内に懐中電灯が設置してあるのだった。これもまた国東ならではの、のどかな拝観風景であった。
著者:嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)
1942年静岡県生まれ。作家、エッセイスト。雑誌編集者を経て、執筆活動に入る。88年『素人包丁記』により講談社エッセイ賞を、2000年『芭蕉の誘惑』(後に『芭蕉紀行』と改題。新潮社)によりJTB紀行文学大賞をを受賞。06年、『悪党芭蕉』(新潮社)により泉鏡花文学賞と読売文学賞受賞。近著『旅するノラ猫』(筑摩書房)、『下り坂繁昌記』(新講社)など著書多数。旅と温泉を愛し、1年のうち8ヵ月は国内外を旅行する。カメラマン:船尾修(ふなお・おさむ)
1960年兵庫県神戸市生まれ。筑波大学生物学類卒業。出版社勤務を経て、さまざまなアルバイトをしながら世界を放浪。そのときに写真と出会う。アジア・ アフリカを主なフィールドに、【地球と人間の関係性】をテーマに撮影を続けている。2000年から【日本人の心の原郷】を映像化するために大分県の国東半 島に移住。主な著作に、『アフリカ 豊饒と混沌の大陸(全2巻)』、『UJAMAA』(共に山と渓谷社刊)などがある。大分県立芸術文化短期大学非常勤講師。第9回さがみはら写真新人賞受賞。オフィシャルサイト→http://www.funaoosamu.com/
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