2026年2月25日(水)

酷似する 「戦間期」と現代

2026年2月25日

 元BC級戦犯の芥川賞作家がいる。おそらく絶無であろう。古山高麗雄、一兵士としてあの戦争に従った。内心に軍国への痛烈な批判を抱え、青春を戦地に過ごした。異邦の獄につながれたものの、戦後は教条的な反戦論、平和主義に疑いの目を向け続けた。死ぬまで大勢に同調しなかった。

イラストレーション・管 弘志

 古山は1969年、デビュー作の短編小説「墓地で」で、一兵卒の「私」に「八紘だの玉砕だの」といった「翼賛語」への嫌悪に加えて断言させる。

 「私には思う自由、というものがある。これだけは、誰も束縛することができない」

 「思う自由」とは消極的に響くかもしれない。だが、そんな「わたくし」の世界に踏みとどまって考える人だからこそ、戦前・戦中のスローガン─東亜新秩序や八紘一宇─の傲慢を白々しい思いで聞き、「平和」憲法を奉戴して戦争や軍隊を旧悪として指弾する戦後の欺瞞にも流されなかった。

 古山は選良の道を歩くべき人でありながら、ときに意図して、ときに意図せず落伍を重ねた。その経験が世を下から眺め、「主義」や「論」のような高みからの言葉を疑うことにつながった。

 まず生い立ちからたどってみよう。生まれは植民地朝鮮で父は開業医。早熟で子どもの頃から文学に親しみ、成績優秀だった。中学卒業後、東京で2年間、浪人生活を送る。

 放埒な不良ぶりは、先んじて作家となる安岡章太郎の『悪い仲間』(講談社文芸文庫)に詳しい。予備校の模擬試験の作文で「皇紀二千六百年」が出題されると、型通りの答えとともに、「呉服屋の何周年といったようなことと同じだ」と書いた。驚くべき青年である。

 京都の第三高等学校(三高)入学は40年。第一高等学校を頂点とする旧制高等学校は、ほぼ全員が帝国大学に進学する選良の集団である。三高にいれば大日本帝国を支える存在になるほかない。無論、反戦運動などできるわけもない。抵抗は落伍することしかない。学校を欠席して遊廓通いをした。放蕩をすべて抵抗の表現とするのもおかしいとわかっていた。学業に励まないのは怠け者だからだという自覚もあった。こういう自己凝視は彼の資質であった。結局、放校になる前に、1年を終えず退学する。

 古山の下降願望は、家にお手伝いさんとコックがいるような坊ちゃん育ちゆえの苦悩が背景にあった。そしてこの落伍が、続けて一等兵、BC級戦犯としての経験も形作る。


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